アリス 夕暮れの光が穏やかに差し込む図書室。 捜し求めた相手は、両手一杯に抱えた本を甲斐甲斐しく整理している真っ最中だった。 「…今日が何の日か、知ってるな?」 壁にもたれながらそう尋ねれば、整理途中の本を抱えたままで、ガイズは困ったように頷く。 「じゃあ、いつも世話になっている俺にプレゼントの一つでも寄越すのは当然の事だよな…?」 「…はい」 戸惑った目のまま、だが従順にガイズは頷いた。 とは言え、この刑務所で自分が満足するようなプレゼントをガイズが用意出来るわけも無い。 さて、どうするのか…と意地悪い思いで相手の反応を伺っていたデューラだったが、しかしその後ガイズ返した返答は予想外のものだった。 「えと…じゃあ、ケーキを…」 「ケーキ?」 お前、そんなモン手に入れられるのか? 出かかった言葉を遮るように、ガイズが一冊の本をデューラの胸元に押し付ける。 「…はい。やる…」 「…って、コレ本じゃねぇか」 しかも、この図書室の。 (要るかこんなモン) (そもそもさっき言ってた『ケーキ』ってのはどうしたんだ) (や、別にそこまでケーキが食いたかったわけじゃねぇが…というか俺が食いたかったのはむしろ…) 様々な思いが一瞬頭を過ぎる。 だがそれを口に出す事が出来なかったのは、本を差し出したガイズの顔が信じられない程真っ赤に染まっていたからだ。 (何…) 問いただそうと腕を伸ばした途端、作業終了の鐘が鳴り響く。 その途端ガイズは素早く身を翻すと、廊下を駆け出していった。 まだ耳の先まで朱色に染めたままで。 一体あれは何だったのだろう…と私室に帰ったデューラは思う。 何となく気になって、あの本も一緒に持って来ていた。 赤い革と金箔で飾られた、豪奢な作りの一冊の本。 椅子に凭れたままでパラリと捲る。開かれたページには、想像以上に大きな活字が躍っていた。 「子供向け…か」 成る程。ならば、あのガイズでも読めたわけだ。 だが、と再び首を捻る。プレゼントとして差し出したからには、そしてあの反応を見るに必ず何か意味があるはずだ。この本を贈った、意味が。 「ん…?」 ぱらぱらとページを捲った途中に、ふと何かが挟まっているのにデューラは気付いた。 (栞…?) 慌ててそれを摘み上げる。メッセージカードか何かかと思って。 だが、予想は外れた。花と乙女が描かれたその栞は、本当にどこにでもある只の栞で。透かそうが火に炙ろうがメッセージの欠片も現れない。 (なら、このページの中に何かが…?) そう思って栞の挟まっていたページを隅から隅まで眺めてみるが、やはりちょっとしたメモ書きの一つすら、残されていなかった。 (もしかしたら…ページの数に何か意味があるって事か…?) 段々推理小説じみてきた。だが、栞の挟まっていたページは36ページ。デューラの年齢とも違えば、誕生日の日付にもまるで関係が無い。 「何なんだ…一体…」 普段使い慣れない頭をフル回転させた所為で、肩まで凝ってきた。 こきこきと首を鳴らしながら、デューラは改めてその本を見遣る。 馬鹿なことをしている、と我ながら思う。 こんな本なぞに構う事無く、今からでも139番の独房に向かって――自分の欲しい物を奪ってくればいいものを。 それでも、デューラにはそれがどうしても出来なかった。 あのガイズが――くどいようだが、『あの』ガイズが、自分に『誕生日プレゼント』だと言って差し出したもの。 …意味が分からないからといって、打ち捨てる事が出来る筈も無い。 「…しっかし…何だってんだ…」 考えても考えても分からない。もしかしたらこの栞や、それの挟まっていたページは何の関係も無いのだろうか? デューラは一度本を閉じ、最初のページを開き直した。 最初に目に入る挿絵は、金の髪をした少女が姉らしき少女の傍らで退屈そうに座っているところだ。 その少女の横を、何と二本足で歩く服を着た白兎が走っていく。少女は、咄嗟にそのウサギを追いかけ、ウサギ穴へと落ちてしまう。 穴の底に落ちた少女。そこには、一つの小さなドアがあった。テーブルの上にあった鍵で開けてみると――其処には見たこともない程美しい庭園が広がっている。 あそこへ行きたい。そう思った少女だったが、困ったことにドアはネズミ穴ほどの大きさしかない。 その時、テーブルの上に薬の瓶が置いてあるのを少女は見つける。そしてその薬を飲むと――不思議な事に、その背はぐんぐんと縮んでネズミほどの大きさになってしまう―― 「…馬鹿馬鹿しい」 思わずデューラは毒づく。いかにも子供向けの、下らない夢物語だ。 背が小さくなった少女は、驚きつつも大喜びする。『これであの素敵なお庭に行けるわ!』…だが、庭に続くドアの鍵は先ほどのテーブルの上。ネズミほどの大きさになってしまった彼女には、とても届かない。 「馬鹿なガキ…」 浅はかと言うか何と言うか。つまらない内容に段々続きを読む気さえ失せてきた。 途方にくれた少女は、とうとう泣き出してしまった。その時、足元に小さな箱が落ちている事に気付く。開けてみると、その箱の中には小さなケーキが一つ、入っていて―― 「…ケーキ?」 ふと先ほどのガイズとのやり取りを思い出して、デューラははっと身を起こした。慌てて確認したそのページ数は、さっき嫌と言うほど確認した――36ページ。 (『…じゃあ、ケーキを…』) 「まさかあのガキ…本の中のケーキを俺にやる…とかそういう事が言いたいんじゃないだろうな…ふざけたマネを…」 一気に下降する機嫌に、声も自然と低くなる。 …だが、怒りだけではない虚しさのようなものも同時に、どこかデューラの胸の内で凝っていた。 (やっぱり) (やっぱり…あのガキが俺に素直にプレゼントなんか寄越しやがる訳がねぇだろう…あんな態度に惑わされて。何を期待していたんだ、俺は…) 『…みっともねぇ』。そう呟いて、開かれたままの36ページをそっとなぞる。 エプロンドレスを纏った少女が、小首を傾げてケーキの小箱を抱えている――そんな小さな挿絵が添えられていた。 何気無くその横の文章に目をやって――デューラは、ふとある一文に目を止める。 「………………」 見間違いではないかと、幾度も瞬きをした。次いで己の都合のいい勘違いではないかと一瞬逡巡し――立ち上がった。 誕生日の、プレゼント。 『ケーキ』。 「あいつ…」 廊下を駆けながらデューラは笑う。 間違っては居ない。…間違っては居ないだろう。きっと。 息せき切って独房に駆け込んで来た看守主任に、ガイズはぎょっとしたように顔をあげた。 「デューラ…」 「何だ、その顔は」 見返してくる表情に、一瞬心が怯む。間違っていたのではないかと。 しかし微かに染まったガイズの頬に後押しされるように、デューラはその傍らへと屈み込んだ。 「『ケーキ』を…食いに来たんだが…?」 そのキーワードを口にした途端、ガイズの顔が暗がりの中でもはっきりと分かるほどに赤くなった。 (『正解』…か…!) 「…よく…分かったな…お前…」 俯いたままで、恥ずかしくて仕方ないのかぽそぽそとガイズは呟く。 「当たり前だろう。あんな簡単なメッセージに、俺が気付かないとでも思ったか?まして…」 ましてお前から贈られたものだというのに。 その言葉だけは胸の中に留めて。ガイズを抱き寄せると、少年は大人しく腕の中に収まる。 「…その割には、随分時間がかかったよな…?」 くす、と悪戯っぽく呟いてガイズは笑った。その様が憎らしくて愛しくて――衝動的に、耳朶に噛み付く。 「痛…!何だよ、事実だろ!怒るなよ!」 「怒ってるわけじゃない…最初に言っただろう?俺は『ケーキを食いに来た』と」 「あ……」 戸惑ったように、ガイズはデューラの腕の中、視線を彷徨わせる。 その逃げ惑う金色の目をしっかりと真正面から捕らえ、デューラは囁いた。 「…食って…いいんだろう…?」 「…ん…」 躊躇いがちに、だが確かに頷いたガイズの頬に一度口吻けを落とし。 デューラはプレゼントのラッピングを解くように、ガイズの服へと手をかけた。 間もなくアリスは、小さな箱がテーブルの下にあるのを見つけました。 箱を開けてみると、中にはとてもとても小さなケーキが一つ入っています。 そしてケーキの上には、美しい文字でこう書かれていました。 |
何かもう…今までのどの話よりもやっちまった感で一杯。 ついでに言うと、『アリス』の初版本の発行年を知って ちょいとテムズ川に身投げしたくなりました。 調べなきゃ良かったものを。嗚呼。 |
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