その音はある種の、荘厳さをもって。










鳴り響く、鐘












 遠く、鐘の音が聞こえる。作業の時間も、もう終わりだろうか。


 重々しいその響きに促されるように、ガイズはゆっくりと瞼を上げる。次いで、はっと我に返り、身を預けていた椅子から飛び起きた。

「まず…っ!俺、居眠りしちまったのか!?」

 作業中なのに…!と目の前が真っ暗になる。任された今日の作業は、部屋の掃除。いつもの靴作りに比べれば遥かにラクな仕事だから…と高を括っていたのが悪かったのだろうか。寄りによって、作業中に寝こけてしまうなんて。

「どうしよ…もう、看守が見回りに来ちまう…」

 ああ、せめて今日の担当があの灰髪看守だったらいいのに…!と祈る思いでそう願うが、そんな都合のいい事が起こるはずも無く。
 やや乱暴なノックの音と共に、かけられた声が導き出すは最悪のパターン。

「ガイズ…終わったかの?入るぞ」

 低い声に、スゥっと血の気が引く。横柄なその声は、紛れも無いあの男のもの。この刑務所の、看守主任。
(…ど、どうすれば…)
 オロオロと意味も無くガイズは辺りを見回す。ドアの外では返事が一向に無い事に焦れたのか、一層ノックの音が激しくなった。
「ガイズ!居るんだろう!入るぞ!?」
「あ…ちょっと、待…!」
 止めようとドアに向かって駆け寄るがもう遅い。ガチャリという音と共に現れたのは――紛れもなく、デューラその人だった。

(な…殴られる…っ!)
 切れ長の瞳と目線がかち合った瞬間、恐ろしさのあまりガイズはきゅっと目を閉じる。
 そのまま、自分を襲うであろう衝撃に備えて身体を固くしたガイズに掛けられたのは、思いのほか穏やかな声だった。
「ふん…まあ、悪くはないじゃねぇか」
「え……?」
 何で、と問いたげにガイズが恐る恐る顔を上げる。そして、改めて相手の姿を目にするや否や、パチパチと幾度も瞬きした。
 白い手袋だけは、いつもと変わりが無いのだけれど。長身に纏うは、仕立ての良さそうな白いスーツ。首には、細身のクロスタイ。トレードマークの帽子が無くて。代わりに惜しげも無く晒した金髪を、緩く後ろに撫で付けて。
 柔らかな陽光の中で、真っ白い服に身を包んだデューラは、まるで――そう、まるで。

「見惚れたか?」
「…って、ちが…!」
 見惚れた、というよりは、あまりの違和感に目が離せなかった。

 …だってそれじゃまるで――新郎、みたいだ。


 殴られる、と怯えていたことも忘れ、思わずまじまじとその姿を見詰めてしまう。と、機嫌よさげにデューラは身をかがめ、ガイズの耳元に唇を寄せた。
「何が『違う』んだって…?」
 明らかに見惚れてるだろうが…と吐息と共に囁かれ、意志とは裏腹に身体がひくりと震える。
「ガイズ…」
「や…だから違うって言ってんだろ…!」
 抱き込まれそうになって、慌てて相手を両腕で押し退ける。
「…何だ。またいつもの『嫌がるフリ』か?」
「何言ってんだ…!」
 『フリ』も何も、いつだって俺、100%本気で嫌がってるだろうがぁぁ…っ!
 そう心の中で叫びつつ、ガイズはぎゅうぎゅうと近づいてくるデューラを押し退ける。
 中々思うままにならないガイズに、デューラがふっと溜息をついた。
「ガイズ…お前、一体今日はどうしたっていうんだ」
(お前こそ、今日はどうしたっていうんだよ…!?)
「仮にも今日をもって夫となる相手に、その態度はどうしたことだ?」
(知るかよ…って、『夫』…?)

  
夫?

「な…何…?」
 今、怖い事を聞いた気がする。とてもとても怖い事を。
 蒼褪め、カタカタと震えながらガイズは口元を手で覆った。
 その矢先、感じた違和感。自分の両手に、いつの間にか真っ白な手袋が嵌っている。肘まである長さの、滑らかな絹で出来た、まるで、貴婦人がつけるような――?
「な…嘘だ!」
 慌ててデューラから身を離す。どうして今の今まで気付かなかったのだろう。腹の辺りが苦しい。何かで、締め付けられている。
(コ…コルセット!?)
 腰の辺りがスースーして心もとない。なのに、ボリュームのある布地が、実に足首までを覆い隠している。
(ス…スカート!?)
 足先がジンジンと痛い。いつものボロ靴じゃない、もっと華奢な靴を履かされている。
(ハイヒール…って…ええぇ!?)
 オロオロとガイズは部屋中を見渡す。そして、部屋の片隅に置いてあった姿見の前へ、躓きそうな勢いで駆け寄った。

「そ…そんな…」

 鏡についた手が、小刻みに震える。
 姿見に映し出されたのは、頬を蒼褪めさせた一人の花嫁の姿だった。

「な…何だよ、コレ!どうして…!」
 あわあわと髪を飾るヴェールに触れ、首元に巻きつけられたチョーカーに触れる。スカートを捲り上げて己の細い両足がストッキング+ガーターベルトで飾られているのを目の当たりにし――くらりとガイズは目眩を起こした。
(嘘…だろう…?)
 縋るように、背後のデューラを振り返る。
「な!なあ!作業中に寝てたのは謝るから…!懲罰房でも何でもブチ込んでいいから…!こういう嫌がらせだけは頼むから勘弁してくれよ!心臓に悪ィよ!」
 駆け寄ってデューラの胸元を掴み、ガクガクと揺さぶる。
 いつもなら考える事も出来ない、恐れ知らずの行為。だがデューラは怒るでもなく、ただ苦笑するだけだった。

「作業?懲罰房…?何だ、ガイズ。何を寝ぼけている?」
「寝ぼけてっ…て」
「まだ刑務所の中に居た頃の夢でも見ていたのか?
「居た頃…の、ゆめ…ぇ…?」
 愕然とするガイズの頬を、デューラが笑いながらごく軽く抓る。
「ほら、痛いだろう?」
「い…痛い…けど、だって!」
「冷静に考えてみろ。刑務所の中に、こんな部屋があったか?」
「え……」
 はっとして辺りを見回す。そして、全身が総毛だった。
 白い、白すぎる壁も、磨き上げられた窓硝子も、柔らかそうなレースのカーテンも――眠る前に掃除を任されたあの薄暗い部屋とは、まるで違う。まるで、覚えが無い。

「そんな…」
 さっきまで刑務所にいた。作業をしていた。そのはずなのに。
 混乱して涙目になるガイズの頬を、宥めるようにデューラがそっと撫で上げた。常に無い優しい仕草に、思わず瞳を瞬かせてしまう。

「どうした、ガイズ。…マリッジブルーというやつか?
「明らかに違うし!」
 途端噛み付くガイズに笑みを浮かべると、デューラは細いその顎に手をかけ、そっと自分の方を向かせる。
「…しかし…『馬子にも衣装』とか言ってやるつもりだったが…」
「え?」

「…似合う、な…」
「な…!」

 その『似合う』がウェディングドレスを指していると気付き、カッとなって言い返そうとするが――それを遮るように、デューラが唇を寄せる。
「ちょ、待て!待てっての――っ!」
 ヴェールがずれ落ちるのも構わず抵抗するガイズ。その時、再びノックの音が響いた。

「主任、お時間ですが」
「…ちっ!」
 冷静な響きの声に、舌打ちしつつデューラは立ち上がる。
(助かっ…た…)
 乱されかかったドレスの襟元(←早業)を直しつつ、ガイズもよろよろと立ち上がる。
 ドアが開き、あの柔らかな灰髪が垣間見えたとき、不覚にもガイズは涙が零れそうになった。
(助かった…!なあ、アンタ!この馬鹿上司に何とか言ってやってくれよ!『また…何やってるんですか、主任…』って呆れたみたいに止めてくれよ!)

 …しかし、現れたシルヴェスはガイズを一目見るなり、にっこりと笑ってこう言った。

「ああ…本当に可愛い花嫁さんですね」
「…………っ!!」

 ぴき。と固まったガイズの肩をこれ見よがしに引き寄せ、デューラは『そうだろう』と自慢げに笑う。
「白いドレスに黒髪が良く映えて…『清楚・可憐』ってのはこういう事を言うんだ。…ああ、言っとくが…くれてやらんからな」
 手を出すなよ…?と凄む上司に、にこりと部下は笑う。
「ええ。でも私も12月には、もう式が決まってますから…」
「ああ。そう言えばそうだったな。…趣味の悪い事だ」
「仰いますねぇ…ああ見えてとても可愛いんですよ、は…。先日のドレスの仮縫いの時なんて、それこそ今日のガイズじゃないですが、真っ白なドレスに燃えるような赤い髪が映えて…綺麗でした…」
 ほう、と夢見るような溜息をつくシルヴェス。苦笑するデューラ。
 なんだかとても怖い12月の予定が聞こえた気もするが、それすら気に止める余裕がない程、ガイズは衝撃を受けていた。

(だ…誰も頼りにならない…!)

 寄りによって。寄りによってこの常識人のシルヴェスまでが、こんなイカレた行いを容認するなんて…!
 再び襲われた目眩にふらつくガイズを、すかさずデューラが受け止める。シルヴェスが、ぎょっとして目を見開いた。
「ど…どうされました!?」
「いや…少し具合が優れないらしい…」
「そうですか…ですが皆様、もう式場でお待ちかねで…」
「誰だよ、『皆様』って!」
「まあ、問題なかろう。行くぞ、ガイズ」
「無視すんなよぉぉっ!!やだやだやだ、絶対行かねぇ!!」
 ウエディングドレスのままで、その場にしゃがみこんでしまったガイズを、困ったように二人は見下ろす。

「あの…どうしたんでしょうか、彼…」
「甘えたくなったのか?仕方ねぇな…ほら!」
「う…わぁぁっ!!」
 言うや否や、デューラはガイズの身体を軽々と抱え上げ、横抱きにした。
 俗に言う、お姫様だっこ。若しくは、『花嫁抱き』

「凄いです、主任…!花嫁を花嫁抱きする人、私久々に見ました…!
 シルヴェスの声も、思わず感動に打ち震える。
「そうか?まぁお前もジャーヴィーを抱き上げたいなら、今から足腰鍛えておいたほうがいいだろう」
「はい!」
「…って、ちょっと待てよ!色々と細かくツッコミどころ挙げてったらキリがねぇけど…兎に角、行かないって言ってんだろうが!下ろせ!下ろせよぉぉっ!!」


 暴れ狂う花嫁の懇願は、当然ながら無視された。
 石造りの廊下に、花嫁の絶叫と鐘の音が響き渡る。














「…悪夢、だ」

 デューラに抱き上げられたままで、低くガイズは呟いた。

 目の前の大きな扉が、軋みを立てながら開かれる。
 真っ直ぐに伸びた、血色の赤い絨毯。…ヴァージンロード。
 
 道の左右には、数多くの参列者。突き刺さる視線。だが誰も笑わないし、止めようともしない。その真ん中を、いつになく真剣な面持ちでデューラが歩く。
 その時、視界の端に見覚えのある人間を見つけ、ガイズは叫んだ。
「ルスカ!!」
 教会の片隅に、ルスカが座っていた。
「ルスカ!助けてくれよ!なぁ、ルスカ!!」
 何度も呼びかけ、助けを求めるがルスカは答えない。 
 どうやら泥酔しているようだ。返事の代わりのように、ぐいっと手に持った酒を呷っているのだけが見えた。
「ルスカ…」
 その姿は、みるみるうちに背後へと消えていく。その次にガイズが見つけたのは、イオだった。
「イオ!なぁ、こいつらを止めてくれ!」
 イオは拍手をしながら、申し訳なげに眼を逸らした。絶望したガイズの眼が、必死に他に味方になってくれそうな人間を探す。
「ベルベット…っ!!…って、こっち見てもいねぇし…!」
 うらぎりものー!とうがうが叫ぶガイズを他所に、ベルベットは参列者から分けられたチョコレートに夢中でかぶりついていた。

(誰も頼れねぇ…!こうなったら…自分ひとりで何とかするしか…!)

 とうとう腹をくくったガイズの、眼前に待ち受けるは一人の神父。
 …いや、其処に居たのは神父ではなく。

「…何やってんだ、そこのメガネ刑事…」
 デューラの腕から下ろされ、目の前に立つ男の姿に思わずガイズの喉から呻きが漏れた。
 途端、その言葉を聞きとがめてメガネ(仮名)の眉が吊り上がる。
「言葉を慎みたまえ。君は神父の前にいるのだぞ?」
「だーれが神父だ…このエセムスカが…!」
「…式を続けてくれ」
 放って置くと何時までも噛み付き合っていそうな二人を、デューラが遮った。
 仕方ない、と言いたげにギルディアスが溜息をつく。

「…病める時も健やかなる時も(以下略)。愛し合う事を誓うか?」
「ああ。誓う」
「誓いません」
「「………………」」

 返された返事は、余りに見事な不協和音だった。
 ずり落ちたメガネを、無言でくいっとギルディアスはかけ直す。
 そして挑戦的に此方を睨みつけているガイズを見返し、静かに口を開いた。

…よし、省略。指輪の交換を」
「待てぇぇっ!!其処は省略しちゃダメだろ!!ってか俺、『誓いません』ってきっちりハッキリ、言ってるだろうが!!」
「問答無用。…ミュカ、指輪の用意を」
「…ミュカ?」
 ここで聞くべきではない名前に、思わずガイズが動きを止める。
 とことこと小走りで駆け寄ってきた、聞き覚えのある名の少年は確かに――自分の幼馴染だった。
「ミュカ…!何でこんなトコに…」
「…………」
 ガイズの疑問には答えず、少し淋しげな笑顔で、ニコ、と笑ったミュカはまるで天使のようだった。
 そしてデューラに、銀色の指輪を差し出す。天使の笑顔とは裏腹に、その行為そのものは悪魔のようだった。
「ミュカ…お前も、お前も助けてくれないんだな…?」
 半泣きで縋り付くガイズに、ミュカはただにこりと笑う。

「…さあ、ガイズ。こっちを向け」
 ぐいっとミュカから引き剥がされ、ガイズの喉がひく、と鳴った。
 勝ち誇った顔で指輪を掲げたデューラが、目の前に立っている。
「長かった…お前を俺のものにするまで、幾年月…さあ、左手を出せ」
「や…やだ…」
 摘み上げられた小さな指輪。その銀色の輝きは、控えめで一見優美とさえ言えそうなものだったが――はっきり言って、ガイズには手錠か鉄格子の色にしか見えない。
(こ…これを…これを嵌められたら終わりだ…!)
「嫌…だ…!」
 左手を捉えられ、ガイズがパニックに陥りかけたその瞬間――バン、と一際大きな音を立てて式場の扉が開かれた。

「ちょぉっと待ったぁぁっ!!」
「ジョ、ジョゼ!?」

 銀色の髪。ボロボロの服。腕の刺青――紛れもなく、あのジョゼだ。
 唐突な乱入者に流石のデューラも虚を突かれたのか、動きを止める。
「テメェの好きにはさせねェぜ、デューラ…!」
「ジョゼ…」
(助けに、きてくれたんだ…)
 人の顔を見れば、『犯らせろ』しか言わなかった、アイツが…!
 ジン、と胸が熱くなる。ガイズの視線に気付いたのか、ジョゼは一瞬だけデューラから視線を外し、こちらに向かってウインクして見せた。
「諦めな、看守主任さんよ!ガイズを嫁に貰うのは…この俺だ!」
(そうだよ、俺を嫁に貰うのは…って…オイ
「待て!何でそうなるんだよ!」
 聞き捨てなら無いジョゼの台詞に対する抗議は、半ば当然のように黙殺された。
「ほう…よもや此処までやって来るとはな…褒めてやろう」
 RPGのボスキャラっぽい台詞と共に、デューラが静かにジョゼの前に立ちふさがる。
「ガイズを手に入れたいのならば、その前に俺を倒していくことだな!」
「そんなことはもとより承知…!行くぞ、デューラ!」
 叫ぶと共にジョゼが向かってきた。花嫁ガイズを背中に隠し、デューラも腰から抜き放った警棒を構える。
「いや、だから俺はどっちの嫁にも…って聞けよ、貴様ら――っ!」
 本人の意思そっちのけで『ガイズ争奪戦』を始めた二人に、花嫁は叫ぶ。
 その時、その手を後ろから引くものがあった。
「ひ……っ!」
「…悪い悪い、助けに来たんだが…驚かせちまったか?」
 見るだけで安心するような笑顔を浮かべて。こちらを見ているのは。
「エバ…!」
 その姿を見た瞬間、ガイズは半泣きで目の前の男に抱きついた。
「エバ…!エバァ…!」
 怖かったんだ…!と縋りつくガイズの肩をよしよし、と叩くとエバはその細い身体をそっと立たせる。
「…さ、あの二人がやりあってる今のうちに、逃げるぞ」
「うん!」
 涙を拭って、ガイズは立ち上がる。そして二人が手に手を取って教会をそっと抜け出そうとした矢先――背後から、冷え冷えとした声が掛けられた。
「おや、二人仲良く、何処に行くおつもりで…?」
「…ヴァ…」
「…ヴァルイーダ…?」
 何故か青褪めるエバ。そしてきょとんと立ちすくむガイズを前に、銀髪の麗人はにっこりと微笑む。
「…行かせませんよ、エバ」
「そんな!ヴァルイーダ!?」
「…お前、ガイズをこのままデューラなんかの嫁にしていいってのか…?」
「まさか。そんな非道なことを言うわけないでしょう。…でも」
 ヴァルイーダの瞳が、鋭さを帯びる。
「貴方の花嫁にさせるわけにも…行かないんですよ、エバ!」
 言いざま、ヴァルイーダが殴りかかってきた。背後にガイズを庇いながらも、エバはそれを紙一重でよける。
「お前なー!!今、本気だっただろ!」
「当たり前でしょう。何せガイズという可愛い花嫁がかかっているんですから」
 珍しく本気で焦った声を上げるエバ。それに笑みを浮かべつつ飄々と返すヴァルイーダ。

「俺の…俺の意思は…?」
 …そして、涙をほろほろと流す、先程から己の意思を無視されまくりのガイズ。

 花嫁そっちのけで戦闘モードに入った二人の傍らでひくひくと泣きじゃくるガイズの肩を、不意に誰かが叩いた。
「だ…誰だよ!」
 俺の周りはみんな敵―っ!の勢いでガイズは相手を振り払う。それを焦ったように相手の手が掴みとめた。
「ガイズ!落ち着け、俺だよ!」
「…あ…シオン…?」
 恐慌状態に陥りかけていたガイズが、はっと我に返った。
「良かった…無事で…!」
 感極まったようにそう呟いて、シオンはドレスに包まれたガイズの身体をぎゅっと抱きしめる。
「シオン…」
 微かに赤面しつつ、ガイズもまたおずおずとシオンの背に腕を回した。
「…もう、大丈夫だから。さあ、俺と一緒に逃げよう、ガイズ!」
「でも…あいつらは…?」
 ちら、と背後を振り返るれば、まだ戦闘真っ最中のデューラにジョゼにエバにヴァルイーダ。
 心配げにそれを見つめるガイズに、シオンは笑顔できっぱりと言い切った。
「ほっとこう」
「…そうだな」
 …実際、それが一番いいようにも思えた。


「ガイズ!早く!」
「待ってくれよ、シオン…!ドレスが絡まって…!」
 大混乱の式場を、手に手を取って若い二人は駆け抜ける。
 そしてシオンの手が式場のドアに伸びた時――横から振り下ろされた何かが、したたかにその手の甲を打った。
「痛……!」
「シオン!」
 痛みに呻いて蹲るシオンに、悲鳴を上げてガイズは駆け寄る。
 硬質なブーツの足音と共に、そんな二人の前に現れたのは。

「「看守B……」」

 灰髪の看守が、いつもの温和さを払拭した厳しい眼差しで警棒を構えている。
「…すまないが139番。大人しく主任の所へ戻ってもらおう」
「何でですか!貴方だって、あんな奴の所に行ったら、どれだけガイズが不幸になるか…十分に分かっているはずだ!」
 必死の形相でシオンが怒鳴った。シルヴェスは痛みを堪えるように眼を伏せる。
「…そんな当たり前の事くらい分かっているさ…私だって」
「じゃあ、どうして!?貴方は優しい人だ!本心じゃこんな事、したくないんでしょう!?」
 だから俺たちを通して下さい…!と懇願するシオンに、だがシルヴェスは静かに警棒を向けた。
「…違う。これは私の意志なんだ」
「どうして…」
 呆然とガイズは呟く。それに、シルヴェスは微かに頬を染めた。
「…だって」
「『だって』?」
「だって主任が、無事に既婚者になれたら12月の私とジャーヴィーの式の仲人になってくれるって言うから…」
「……………………」
「……………………」

 もじもじと指を絡めて照れまくるシルヴェスを、少年二人は冷たい眼差しで見つめた。

「滅茶苦茶自分本位ですね…アンタ…」
「…人は結局、誰もが『自分のためだけに』生きるものなんだよ…」
「格好つけた言い方したって、本質は一緒だし…」
 呆れた二人の言葉を気にも留めず、シルヴェスは不敵に笑って警棒を抜いた。

「ふふ…ということで私とジャーヴィーの明るい未来のため…!悪いがガイズ、君にはここで礎になってもらう…!」
「『礎』って…冗談じゃねぇよ!」
「ガイズ!逃げろ!」
 警棒を振りかざすシルヴェスに飛びついて、シオンが叫ぶ。
「でも…!シオン!」
「逃げるんじゃないぞ、139番。…彼に怪我をさせたくなければな」
「大丈夫だ!俺は後から行く!先に逃げるんだ、ガイズ!」
「シオン…!ダメだ、行けねぇよ…!」
 涙交じりの声で首を振るガイズの身体を、その時横から突進してきた赤い突風が抱えあげた。
「何ぼさっとしてんだ、クソガキ!いいから今のうちに、逃げるんだよ!」
「え…!?アンタ!」
「ジャーヴィー!何をやっているんだ!」
 突然の相棒(もとい、婚約者)の裏切りに、余裕だったシルヴェスの声に初めて焦りが混じる。

「落ち着け、ジャーヴィー!139番を逃がしたら、私たちの結婚は認められないんだぞ!」
 あの主任が、自分は幸せになれないのに他人の幸せを祝福する気になると思うのか!?とシルヴェスは怒鳴る。
「アホか!!だから逃がすんだろうが!!」
 背後の相棒にそう言い返すと、ジャーヴィーはドアを蹴り開け、抱きかかえたガイズをやや乱暴に床に下ろした。
「…何で?」
 自分を逃がしたら…デューラだけでなく、シルヴェスまで怒らせるらしいのに。
 おずおずと見上げてくるガイズに、ジャーヴィーはぶっきらぼうに返した。
「冗談じゃねぇよ…お前が主任と結婚したら、俺は必然的に12月にはシルヴェスの嫁にならなきゃいけないんだぜ…!?」
 ジャーヴィーの紅茶色の瞳が、涙で潤んだ。
「もう沢山だ…!給料三か月分の婚約指輪だの、純白の花嫁衣裳だの、『お母さん…息子さんは私が幸せにします…!』だの…!」
 気が狂いそうだ…!とジャーヴィーは吐き捨てる。
「だからこれは俺の為でもある。…ということで、気にしないでテメェは逃げろ」
「あんた…」
 ガイズが、ジャーヴィーを見つめた。そして、ジャーヴィーも。
 互いが互いを見つめる眼差しは、まるで己の魂の片割れを見るような眼差しだった。
「あんた…結構苦労してたんだな…」
「そんなもん、お互い様だ…さ、行け!」
 苦労症の受けっ子二人は、互いを励ますように頷きあう。
「…ありがとう!」
「ジャーヴィー!!」

 シルヴェスの悲痛な悲鳴。それを背に、ガイズはドレスの裾をたくし上げて駆ける。
 その身体がドアを潜りかけた、その時――ぐいっと何者かがガイズの細腰を掴んだ。

(え……?)
 唐突に引き止められて、上体がつんのめりそうになる。
(ジョゼ…?エバ…?)
 ふふ、と背後の男が低く笑った。
(ヴァルイーダ…?シオン…?)
 首筋に、吐息がかかる。
(ルスカ…?ベルベット…!?なぁ、そうだろう!?そうだって、言ってくれよ!!)

 視界の隅で、さらりと金の髪が揺れた。

「…………っ!」
 恐る恐る、振り返った。荒い息。頬の辺りに青痣。綺麗にセットされていた髪は乱れて、額の上に金髪が落ちかかっている。
 花婿衣装を見る影も無くボロボロにして、だが今度こそガイズを手にしたデューラは、満足げにニィっと唇を吊り上げた。


「逃がさねぇぞ、ガイズ…」

 俺の、花嫁。


「あ…あぁ……」
 恐怖のあまり、ガチガチと震えるガイズの左手をデューラが捕らえる。

 ――そしてその薬指に、指輪、が。



「や……、いや、だぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



 ガイズの悲鳴。それと重なるように鐘が鳴り響く。
 …鐘が、鳴り響く。

















「いやだぁぁぁぁっ!!」

 叫ぶと同時に、ガイズはもたれかかっていた椅子から飛び起きた。

「あ…あれ?」
 ぱちぱちと瞬きをする。慌てて周囲を見渡して――目を、見開いた。
「ここ…って、刑務所…?」
 周りの景色は、明らかにあの刑務所の一室だ。暗い石造りの壁。煤けた天井。――あの教会じゃ、ない。
 床に目を落とす。そこには古ぼけたバケツと雑巾が置かれていた。
「あ……!」
 はっとして己の着ている服を見る。ボロボロの、着古されたいつものあの服。ドレスじゃない。…ウエディングドレスなんかじゃない…!

「ゆ…め…?」

 頬を抓ってみる。物凄く痛かった。
 その痛みが嬉しい。じわじわと、安堵に涙が滲んでくる。

「よ…良かったぁぁぁっ!!」

 ガイズは叫ぶと、己の身体を抱きしめる。ボロボロのこの服も、汚い部屋も、床に置かれたバケツすら。…今、この瞬間ばかりは、何もかもが愛しかった。
 そのガイズの喜びに水を差すように、作業終了の鐘の音が鳴り響く。
 …成る程、この音を聞いたから、あんな夢を見てしまったのだろう。

(あーあ、結局居眠っちまって、殆ど掃除してねぇや…ま、いいか。看守も居ないし)

 さっさとずらかるのが吉、とばかりにガイズは床のバケツと雑巾を手早く拾い集める。
「よし、完了!さーて、行くか…」

 そう言って立ち上がろうとした、矢先。

「………ん?」 

 ふ、と薬指に違和感を感じた。目の端で何かが、キラと銀色に煌く。


「………………」

 恐る恐る、震える左手を目の前まで持ってきた。







 そ  こ  に  は  。
















END













拍手SS『B(Bride)』にするはずだった一本。
長さが余りに長いので、バランスがとれずこれだけ外しました。
名前だけの人も居ますが、一杯人を出せて満足。

…ところであの刑務所の鐘は、やっぱり何度聞いてもウエディングベルに聞こえる。
たまに主任は、あの音に『己とガイズの結婚式』を妄想し、悦ってると思う。絶対。






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送