9.堕ちる







 ドアが開いた瞬間の衝撃といったら、なかった。

「失礼します」
 入ってきたジャーヴィーの背後に居る、見慣れない小柄な影。
 目を留めたきり、視線がそこから動かせなくなった。
 銜えていた煙草がぽろりと口端から机に落ち、ジジ、と音を立てて天板を焦がす。

「…先ほど護送されてきた囚人を連れてきました」
 ジャーヴィーが何か言って居たが、殆ど頭に入っていない。
 目を少年に向けたままで、そうかとか分かったとかおざなりな返事を返した。
 部下が居なくなるや否や、手渡された書類を食い入るように眺める。
 …いつもは面倒で、殆ど目を通しもしないのに。

 年齢、身長、体重、出身地に生年月日。
 ――そして最上部に書かれた名前『ガイズ』。
 全てのデータを超高速で頭に叩き込んだ。
 こんなに脳を使ったのはいつ以来だろうか。

「へぇ…お前がね…」
(お前が、『ガイズ』か)
「恐ろしい世の中になったもんだなぁ。こんなガキが…」
(この俺様の心を、此処まで騒がすなんてな)

 とは言え。
 決して――不快ではない。

 もっと顔を良く見たくて、顎を掴みあげる。
 少しだけ震えつつも、気丈に睨みつけてくる様に背筋が震えた。
「…何だ、その目は」
(何なんだお前は。そんなちょっと突付いていぢめたくなるような、無闇に可愛い表情しやがって)
「俺様に逆らおうって言うのか!?」
(この俺に逆らおうとするなんて…畜生!その生意気っぷりが余計に可愛いじゃねぇか!)

 余りの可愛さに、表情がつい緩みそうになって慌ててガイズを突き飛ばす。
 まだ暫く頬が熱かったから、ガイズが立ち上がる前にもう一回蹴りつけた。
 こんな締まりの無い表情を見られるのは、余りに恥ずかしい。

 …と、ふと自分が未だに自己紹介すらしていないことを思い出した。
 今ガイズの中で、自分は看守A若しくはB辺り程度の認識なのだろう。
 …そんなのは、嫌だ。
 出来ればこの刑務所で、一番最初にガイズに知られる人間になりたい。
「よぉく覚えておくんだな!此処では、俺の命令が絶対だ!」
(つまり、俺は此処の看守の主任って事だ)
「このデューラ様に逆らったらこんなもんじゃすまねぇぜ、…分かったな!」
(よし。…覚えたよな?俺の名前)

 自己紹介、完了。


 その後の身体検査は最後、鐘の音に邪魔された形にはなったが、然程残念ではなかった。
 だって出会ったばかりの二人にとって、これから互いを知るための時間は――沢山、あるのだ。


 これから長きに渡りガイズの生活を縛る事となる、不吉な鐘の音。
 それすらも『運命的出会い』に浮かれた主任の頭には――

 二人を祝福するウェディングベルに聞こえたとか聞こえなかったとか。





「――ということで、コレが俺とガイズの馴れ初め話だ」
「それ…私が覚えて居る限りでもうざっと18回は聞きましたが」
 それで『その後一緒に歩いた廊下が、まるでヴァージンロードのように思えた』んでしょう…?
 気の無い調子でシルヴェスはその先を諳んじる。
「…ってか、そもそも付き合っても無いのに『馴れ初め』って可笑しくないか…?」
 ぽそ。と呟かれたジャーヴィーの言葉は、幸い主任の耳には届いていなかったようだった。
 未だにその頭の中は、桃色世界に旅立ったままだ。

「そして何時か…純白のドレスを纏ったアイツと共に、本物のヴァージンロードを歩くのが今のところ俺の目下の目標…」
 『目標』と言うよりは、遥かな『夢物語』、もしくは単なる『妄想』ではなかろうか。
 とにかく、呟き遠くを見詰める主任の目はどこまでも清々しく――イッちゃってた。
『式は、6月のアイツの誕生日に合わせてもいいな…』などと、具体的な日取りまですでに考え始めているのが恐ろしい。

「おいシルヴェス…!何とか主任を止めろよ…!」
「何で私が…」
「だってこのままじゃあの人、この爛れた将来設計向かってまっしぐらだぞ!?」
 そしてこの上司なら――『爛れた妄想』を実行しそうで怖い。もの凄く、怖い。
「俺、新婦も男な結婚式に出席するのなんかイヤだって〜っ!」
 ジャーヴィーに泣きつかれて、シルヴェスははぁ、と溜息をついた。
 どうも…この同僚に泣かれると弱い。

「主任」
 桃色妄想に浸っていた主任は、それを遮られ不機嫌そうにシルヴェスを振り返った。
「何だ」
「非常に残念ですが…それは、ムリです」
 幼児に『サンタが居ない』と告げるより、ある意味酷な言葉かも知れない。
 直球ストレートのシルヴェスの言葉に、ジャーヴィーは息を呑む。
「…何故だ」
「主任…」
 本当に彼は分かっていなかったのだ。実行できると、本気で思っていたのだ。
 淋しげにシルヴェスは目を細め、そして一つの夢を壊す。



「ヴァージンロードは、ヴァージンじゃないと通行不可ですよ…?」



 一瞬の沈黙。――後に室内に、『しまったぁぁぁぁぁぁぁっ!!』という慟哭が響き渡った。


「ソレも…ちょっとツッコミどころが違わないか…?シルヴェス…」
 そしてジャーヴィーの淋しい突っ込みは当然のように――黙殺されたのだった。














失礼ですよ、シルヴェスさん。
ちなみにテーマは勿論、『ふぉーる・いん・らぶ』です。

あのイイトコを邪魔する、身体検査の鐘の音も、
デュラガイの運命的出会いを祝福するウエディングベルだと思えば…思えば…


…あの、そんな可哀相なものを見る目で見ないで下さい。












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