夢を、見ていた。 弟と妹と。父さんと母さんと親方。それから俺の大事な大事な幼馴染の夢を。 きっと正夢なんだろう。みんな心配そうな顔をしていた。…そしてみんな、泣いていた。 ごめん、と夢の中の面影に謝る。 ごめんな、みんな。 俺、帰れそうもないや。 ごめんな。 Restriciotn この家に連れて来られて――随分、長い時が経った。 日の入らない廊下が随分冷えてきたとか、真昼でも少しだけ弱まった日差しとかそういった事で、外に出る事を許されていない俺でも秋の訪れをおぼろげに感じる。 「心配してるだろうなぁ…みんな」 ベッドから起き出して。窓から見える空は、今日も皮肉なくらいに冴え渡っていて。もう、随分長いことあの下を歩いて居ないな、と思った。 (でも) 外に出たくても、出られない。 帰りたくたって、帰れない。 あの男が居る限り。 「どうして…」 きゅ、と窓ガラスに額を当てた。目の前に写る自分の顔は、切なげに歪んでいる。 「どうしてなんだよ…!」 どうしてこんなことになったのかと。いくら自身を責めても、どうにもならない。 「帰りたいよ…父さん…母さん…ガイズ…!」 キュウッと爪が虚しく硝子窓を掻いた。 そんな俺にチャンスが訪れたのは、数日後のことだった。。 「…………………」 逸る気持ちを押さえ込むようにカチ、と爪を噛む。それはココに連れて来られてから出来てしまった癖だ。もともと仕事の為に深爪気味にしていた俺の親指の爪は、だから時々血を滲ませるようにさえなってしまった。 今日なら、あの男は――ギルディアスは、居ない。朝から仕事で出かけているのだ。 (今の内に…何とか逃げないと…!) 帰ってきたら、もう駄目だ。逃げられなくなる。 (だけど、どうやって?) 焦って空回りする思考を、必死に働かせる。 「裏口の、ドア……!」 あそこだったら、ギルディアスは滅多に使わない。昨日こっそり鍵を外しておいたけど、それを掛け忘れておいてくれてはいないだろうか? 「甘い…かな…」 裏口に足を向けかけて、立ち止まった。あの几帳面な男が、そんな基本的なミスを犯すだろうか? それでも完璧な人間は居ない。もしかしたら、と言う事もある。 「…行く、か」 この家で逃げられそうな場所と言えば、ギルディアスが然程注意を払っていないあの裏口のドアくらいだ。あとはごく小さな窓でさえきっちりと鍵が掛けられている。 (だけど…) 俺は、立ち止まった。 (また、『罠』があるんじゃないだろうか…?) 実は以前もそのギルディアスの『罠』に引っかかった。もう少しで、ココから脱出できるところだったのに。 注意深く辺りを見回す。不信なものは、見当たらない。 「…………はあ」 ほ、と溜息をついた。この分だと――大丈夫、かも知れない。今度こそ、逃げられるかもしれない。 焦りに駆ける足が磨き上げられた廊下の上でたたらを踏む。握り締めた拳が汗でぬめった。耳に煩い、心臓の鼓動。 まるで今にもあの男が背後から追いかけてくるというように。 ガタ、と音を立てて裏口へと続くドアを、開いた。そこは、薄暗い物置のようになっていて――埃っぽい匂いが鼻を突く。 (あそこ…だ…!) 積み上がっている箱の裏に、引き戸が見える。ほんの一筋だけ隙間から差し込んでいる、白い光。 ごく細いそれは、だけど今の俺が最も欲しているものだった。 (あと少し…!あと…!) 手を伸ばす。引き戸に、手が届く。 だけど。 「………あ………」 その時。そこにあったモノを俺は、見てしまった。 「あ……ああぁ………!あああああぁぁぁぁっー!!」 目を見開く。扉に伸ばされた手が、落ちる。『罠』だ。周到に仕掛けられた、罠だ。 もう、逃げられない。 「ギルディアス……!」 憎しみを込めて、血を吐くように。彼の名を、叫んだ。 「どうした、ミュカ。こんな所に座り込んで」 さっきから俺を探していたのだろう。暗い物置の中で膝を抱えて座り込んでいる俺を見つけたギルディアスは、漸くほっとした顔をした。 のろのろと顔を上げ、その白皙の美貌を睨みつける。 たじろいだように、ギルディアスが目線を彷徨わせた。 「ミュカ…?機嫌が、悪いな?お土産を買ってきたんだよ。ケーキを、な」 「いらない。そんな贅沢な物」 「贅沢って…たかがケーキ一個だし…お前の好きなイチゴのだぞ?」 「ふーん…」 でも普段滅多に食べられない甘い物に、誤魔化される気は無かった。 「それより、ギルディアス…?」 地を這うような声で問い掛ければ、何か思い当たる節があったのか、ギルディアスの肩がびくん、と震える。 「な…何だ?」 「分かってるよね…?」 そう言って俺は、物置の一角を指差した。 俺の逃亡を阻止した、憎き『罠』を。 洗濯物が山と積まれた、洗濯籠を。 「あのさ、ギルディアス…?俺言ったよね?色柄物と白いシャツは、分けて洗わないと色が移るから分けてくれって…!」 「す…すまない!言われたときは確かに覚えていたんだが…!」 「前もそう言って、あの高そうなシャツ駄目にしたよね!?破れも、ほつれすら無かったあのシャツを!」 何て勿体無い…!いっつも接ぎの当たった服ばっかり着てる貧乏一家の俺にとって、破れもほつれも無いシャツなんて、憧れの象徴だというのに…! 思わず条件反射でシャツの分類を始めちまって、結局逃げる前に日が暮れちまったじゃないか…! 「い…いや、それは…」 もごもごと言い訳しようとするギルディアスに、俺は容赦なく畳み掛ける。 「それに、前も言った、といえば、今朝方食べてった食器、また水につけておくの忘れただろ!?こびりついて後で洗うのが大変になるから、ちょっと水に浸けておいてくれよって言ったのに…!何でそんな事すら、出来ないんだよ!」 「わ、悪かった、ミュカ!」 「まだあるんだよ!?他にも――!」 帰って早々の説教攻撃に晒されたギルディアスは、それを押し留めるように俺の胸にケーキの箱を押し付ける。 「そ、それよりミュカ!ケーキ食べよう!早くしないと傷むから…!」 「………………うん」 ある程度言いたい事を言って落ち着いた俺は、必死のギルディアスに渋々頷いてやった。 「さっきはミュカに悪い事をしてしまったからな…」 ケーキの箱をいそいそと開けながら、ギルディアスは伺うように俺の顔を覗き込む。 「もう…怒ってないか…?」 「まだ。…ちょっとだけ」 膨れっ面で呟けば、その顔にガーン!というショックの文字が浮かぶ。 「本当にすまない…!お詫びに、紅茶は私が入れてやるから」 「あ!ちょっと待てよ!」 慌てて止めようとする俺を押し留めて、いいからいいから、と楽しげにギルディアスは繊細な花を描いたポットを手に取る。 「お…お前!紅茶の入れ方、知って…!」 「え?」 「待てー!!茶ッ葉を一缶、入れるなぁぁーっ!!」 「え?え?」 「そんなにいらないんだってば!もういい!俺がやるから!」 「そ、そうか…?」 焦った俺に紅茶のポットも茶葉も奪われて、ギルディアスは所在なげに立ちすくむ。 「じゃあ、私は湯を沸かして……」 「…………?」 何やら横でごそごそ始めたな――と、思った瞬間、目の端に映った光景に俺は血の気が引いた。 「待てー!!」 「え?何だ?」 「何だじゃないだろ!そんな状態で火をつけたら、お前の腕まで丸焼けになっちゃうだろうがぁぁっ!!」 ギルディアスの腕は、火元の真上に暢気に乗っかっている。 「危ないから、もうお前火を使うな!火元に近づくな!!」 離れててちょーだい!とその背中をぐいぐい押して、俺はギルディアスを台所から押し出す。 「それじゃあ…代わりにティーカップを出してやろう」 「イイデス。いいから大人しく座っててクダサイ」 「…はい」 ぴしぃっと言い渡せば、切なげに俯いたものの、ギルディアスは素直に従った。 (危ない危ない…こんな高そうなディーカップ、奴に扱わせたら、あっという間に叩き割っちまうって…!) 透き通るような白磁に薄紅の薔薇が控えめに描かれたカップは、素人目から見ても相当いい品であろう事は間違いがない。 ティーカップと揃いのポット。揃いのケーキ皿にクリーマー。シュガーポット。 (総額だと、どのくらいするんだろう…) と思わず考えてしまうのは、貧乏人の性なんだろう…多分。 「ほら、出来たぞー」 トレイに皿やポットを載せて、注意深くテーブルまで運んでいく。 「ありがとう…ミュカ」 ふわりと笑うギルディアス。割と些細なことでも、コイツは俺にしてもらう、というだけでこんな風に嬉しそうな顔をするんだよな、と思った。 ちょっと気まずくなって、俺は顔を背ける。 「…別に。あ、ミルク入れるんだっけ?」 「ああ。一杯だけ入れさせてもらおうか」 そう言ってギルディアスはクリーマーを持っている俺に向かってカップを差し出した。だけど後もう少しのところで、それは届かない。 「ああ…もういいよ、そっち行くから」 テーブルにクリームを零してしまいそうで怖い。俺は潔くクリーマーを持って立ち上がると、ギルディアスの椅子の傍らについた。 「ほら。どのくらい入れるんだ?」 問い掛けてその至近距離で顔を見たとき、眼鏡の奥の鳶色の目が、先程とは違う色を湛えていることに気付く。 「…………あ…」 うろたえて、俺は思わず後ずさった。それを追い詰めるように立ち上がったギルディアスが、俺の頬に触れてくる。 「…………!」 冷たい手に触れられて、ぎゅうっと目を閉じた。唇に、触れられて。 力の抜けた手から、クリーマーが落下するのが目の端に見える。 「―――――――――!」 その瞬間。 「ミュ、ミュカ!?」 スッと頭の芯が一気に冷える。そして俺はギルディアスを突き飛ばし、床にスライディングしていた。 ぱしゃ、と顔や腕にクリームがかかる。――が、咄嗟の事だったというのに、俺の両手はしっかりと落下する直前のクリーマーを拾い上げていた。 貧乏人の反射神経、万歳。 「ミュカ…」 「割れ物持ってるときに、そういうマネするなよ…」 クリーマーが無事だったことにほっとして、俺はクリーム塗れの顔で下からギルディアス睨みつける。 その時、はっと奴が息を呑むのが分かった。そして、乱暴に傍らの布を引き寄せると、俺の顔をごしごしと拭く。 「だ、大丈夫か!?」 「大丈夫…だけど…」 それにしても、そんな焦るほどのことだろうか?別にさほど熱くもなかったのに。 「もー大丈夫だって」 「しかし…」 「平気だってば!」 そう言ってギルディアスの腕から逃げ出す。いっつも(家族は勿論、コイツに対してだって)世話を焼く方だから、こんな風に子供の頃に帰った時みたいにされるのは、ちょっと落ち着かなかった。 「ミュカ!、まだ濡れてるから…!」 「平気だって言ってるだろ!」 床を這うように逃げても逃げても、ギルディアスは布を持ったままで何処までも追いかけて来る。 (…しっかし、随分と大きい布だなぁ…あんなのココにあったっけ?) 何気なくその白い布の先を見詰め――俺は、真っ青になった。 その白い布の先は、テーブルの上に繋がっている。 つまり。 「ギルディアス…それ……っ!」 「え?」 分かっていないギルディアスが、引っかかっていた布をぐいっと強く引いた。咄嗟に俺は叫ぶ。 「それ…!テーブルクロ……!」 ス、と続く筈だった俺の言葉は――大量の皿が砕け落ちる音に紛れて聞こえなかった。 「……………………………………」 「……………………………………」 ポットから零れた紅茶が、床の上に広大な海を作り出している。 そして所々に点在している、白い島は――潰れてしまった、ケーキ。 水面の魚のようにキラキラと輝いているのは――修復不能なほど粉々に砕けてしまった、陶器の破片だろうか。 (父さん…母さん…ガイズ……) 床に力無く座り込んで、俺は懐かしい人たちに呼びかける。 (俺、やっぱり帰れないよ) (コイツが居る限り、帰れないよ) (だって) (こんな外見だけは完璧の癖して、生活能力ゼロの男、放って置けない…!!) 「いいよ…片付けるから…」 と呆然としているギルディアスを押し退けて、俺はお片付け作業を開始する。 (俺が居なかったら、どうなっちまうんだよ、こいつ…) 確かに自分は人の世話を焼くのが結構好きな方だったけれど。 それでもコイツほど手間の掛かる上、放って置けない相手は居ない。 (参ったなぁ…) 家に掛けられた多くの鍵より、何より。 この男本人が、自分にとって一番の枷となっている。 コイツが居る限り、きっと家の鍵が全開だって、逃げ出す事なんて出来ない。 (ごめんな…みんな…) 心の中で皆に詫びつつ、俺はこの憎ったらしいくらい手のかかる男に…雑巾を持ってくるよう、命じるのだった。 END |
わりとらぶ(微妙)なミュカギル。 ミュカの一番の特長って、世話焼きさんなところだと(勝手に)思う。 世話焼き故に、家事一般ダメダメのギルが放っとけない…とかだと、個人的に嬉しいんだけど。 …しかし、ミュカは『あんなこと』になるので… 不謹慎だったら、すみません…(弱気) |
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