Bitter Sweet Chase 「…………っ!」 何だか見られてる――気がする。 背筋に薄ら寒いものを感じ、廊下の半ばで立ち止まるとガイズはふる、と背筋を震わせた。 (幽霊…のほうがまだマシかも…) もう死んだ人間なんて、怖くも何とも無い。 一番恐ろしいのは、生きた人間だ。――何せ、目に見える『実害』を被ることがあるのだから。 (嫌だなぁ…振り返りたくねぇなぁ…) 視線から受け取れる感覚だけで、相手が何者かということまで朧げに分かるようになってしまった。 悲惨な経験と学習の結果。とは言えこんな能力、自慢になんてなりゃしない。 振り返らないで、このまま知らん振りを続けたらどうだろうか。――いや、無駄だ。たとえそんな事をしたところで―― 「おい、お前。…ちょっと止まれ」 (こうなるに決まってるんだよなぁ…) 最早パターン化しつつある呼びかけに、ガイズは溜息をついて肩を落とした。 「……ナンデショウカ」 「そんなに嫌そうな顔をするな。折角今日はいいものをやろうと思ったというのに」 (んなもん、イラネっての) 渋面のガイズに対して、デューラはまたどんな碌でも無いことを思いついたのか、非常に機嫌がいい。珍しく白手袋を外した両手の中で、その『イイモノ』なのであろう小箱が弄ばれていた。 「今日はバレンタインだからな。俺から、可愛いペットにもお裾分けだ」 (このパターン…前にもどっかで…) たしかアレはまさに一年前、去年の2月14日だったのではなかろうか。 「………………っ」 妙に優しかったあの時のデューラを思い出してしまい、思わずガイズはカッと頬を染める。 そんなガイズにニヤリと笑いかけると、デューラは目の前で小箱に綺麗に結ばれたリボンをするすると解いていった。 (何出す気だよ…) 警戒モードのガイズの予想に反し、出てきたのは意外にも普通のチョコレートだった。ハートや貝を象ったものが、仕切り分けされた箱の中に綺麗に収まっている。 が、デューラが出すものは『見た目が普通』だからといって、『中身も普通』とは限らないのは、前回のチョコレートやワインの時に十分経験済みなわけで。 (いーやーだーなー…) 小箱からチョコを一つ摘み出し、デューラはゆっくりとこちらに近づいてくる。喰え、というつもりなのだろう。 (でもまたヘンな薬入ってるんだろ?どうせ…) 99,9999999…%の確率で『良からぬ物』が入っているチョコレート。そんなものを大人しく口にする者が何処に居るというのか。いや、居ない(反語)。 「ほら…口を開けろ」 くい、とデューラの左手で顎を持ち上げられ、閉じたままのガイズの唇に冷たいチョコレートが触れた。甘い香りと共に襲い来る不吉な予感に、ぞわっと背筋が粟立つ。 (喰ったら…どんな事になるか…!) …とは言え抵抗すれば余計に酷い目に遭わされるに決まってる。…そして、結局無理矢理このチョコレートだって食べさせられることになるのだろう。 この刑務所でデューラの思い通りにならない事なんて、一つも無いのだ。 分かっている。 …だが、分かっていても。 (抵抗しないで…いられるかってんだ!) 「やめろよ!」 「……っ!貴様!」 ガイズの左手が、叫びと共に唇に押し付けられたチョコレートを払い除けた。 叩き落されたそれは、カツン、と軽い音をたてて廊下を転がっていく。 それを見たデューラの細い眉が、怒りにキリ、と吊り上がった。 「貴様…俺からのチョコが喰えんと抜かすのか…?」 押し殺された声は震えが来るほどに冷たい。スゥっと眇められた目線に、流石のガイズも一瞬怯んだ。 「や……」 ふるふると首を振りながらガイズは後ずさる。 それを追い詰めるようにデューラは革靴を鳴らし、近づいてきた。目は笑っていないのに、口だけが笑みを刻んでいるのが恐ろしい。 「ふ…まぁ、いい。チョコレートはまだ余っているからな…」 言いつつ手元の小箱を探り、また新たなチョコレートを摘み出す。 「さぁ…ガイズ。大人しく口を開け」 「いや…だ…」 正面から迫る圧倒的なプレッシャーに、情けなくも涙声になる。 (たかが『チョコレートを喰え』と迫られてるだけなのに、この恐ろしさは一体何事…) カタカタと震え続けるガイズの肩に手を掛け、デューラが軽く身を屈める。 「 ガイズ…抵抗はお前にとっても為にならんぞ?」 耳元に妙に優しく囁かれた瞬間、ガイズの中で緊張と恐怖が、限界に達した。 「い……いぃやぁだぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 「…な…っ!おい、待て!待ちやがれ、ガイズ!!」 余りの恐怖に耐え切れず、ガイズは悲鳴と共にデューラを突き飛ばして廊下を駆け出す。 そして一瞬遅れをとったものの、慌ててデューラも小箱を手にしたままその後を追った。 「こっち来るなよぉぉぉっ!!」 ぱたぱたぱたぱた、と廊下を駆ける軽い足音。…と、悲鳴。むしろ、絶叫。 「黙れ!大人しく俺のチョコレートを受け取りやがれ!!」 次いで、カッカッカッカッ、という硬質な足音が続く。 「何で…!何でそんなにムキになってんだよ、お前ーっ!」 いい年してるくせにーっ!という叫びは、逃亡中とはいえ心に秘めたままで置く。 「何でって…お前がンな必死に逃げてるからだろうがぁぁっ!」 たかがチョコレートだぞ!?素直に受け取れ!そして喰え!とガイズの背後でデューラは叫ぶ。 「ちっくしょう…!俺に何の恨みがあっていっつもいっつもこういうことするんだぁぁぁっ!」 (何か俺、お前の恨み買うようなことしたか!?してないだろ!?) どうして自分ばかりがいっつもデューラのターゲットとなるのか。その理由を全く理解できていないガイズはただ涙するだけだった。 その時、涙に歪んだガイズの視界に、廊下の向こうから連れ立って歩いてくる知り合いの囚人達の姿が目に入った。 まさに地獄に仏。迷わずガイズはその中に飛び込む。 「お前ら…!助けてくれ…っ!」 「ガイズ!?どうした!?」 切羽詰ったガイズの叫びに驚いたように囚人たちは顔を上げ、腕の中に飛び込んできたガイズを受け止めてやった。 「何だ?お前、またタチの悪いやつにでも追っかけられてんのか!?」 …ええ、そりゃあもう凶悪に最強に『タチの悪いの』に。 「うん…頼むから匿ってく…」 ガイズが言いかけた瞬間、背後から悪鬼の如き形相で追いすがるデューラを目にし、一同は顔色を変えた。 そしてガイズの身体をそーっと前方に押し出すと、自分たちは廊下の横の手近な部屋に目にも留まらぬスピードで飛び込む。 時間にして、コンマ数秒の出来事。…驚くべき、スピードだった。 「え…!ちょ、お前ら!隠れるなら俺も一緒に…!」 あっという間の出来事に、漸く我に返ったガイズが慌てて閉ざされた扉をドンドンと叩くが、中からしっかりと抑えられているらしいドアはびくともしない。 「ウソだろー!!見捨てる気かよ、お前らぁぁぁっ!」 おにー!!ひとでなしー!!と詰るが、閉ざされたドアの中からの返事は返らない。 そうこうしている内に、デューラの足音は見る見るうちに背後まで迫ってきた。 「くっそー!!お前ら、覚えとけよ!!」 言い捨ててガイズは再び走り出す。その後を追いかける革靴の足音が通り抜け――そして、再び廊下に静寂が戻った。 「あのさ…止めたほうが良かったんじゃない…か…?」 デューラの形相、ハッキリ言って並みじゃなかったし…とおずおずと隠れた部屋の中で呟いたのは、数ヶ月前に此処に入ったばかりの囚人の一人。 「そうだよ…流石に皆に見捨てられたんじゃ、ガイズの奴、可哀相なんじゃ…」 と口を挟む囚人も、これまた今年に入ってから入所したばかりの、言わば新人だ。 その二人の言わば『今更ながらの青い疑問』に、先輩受刑者達は乾いた笑みを浮かべた。 そして諦めきった様子で、ぽん、と二人の肩を叩いてやる。 「いいんだよ…今日は『バレンタイン』なんだから…」 「そうそう…『シャイなアナタが普段伝えられない思いを、そっとチョコレートに託して伝える』…そんな、日なんだから…」 「だから今日に限ってはガイズを見捨てたって、聖ヴァレンティーヌスがきっとお許しくださるさ…」 「そ…そういう…もんか…?」 「っていうか…一体アレの何処が『バレンタイン』…」 呆れる二人に、先輩たちはそっと遠い眼をした。 「お前らはまだ此処に入って日が浅いからなぁ…また見てればいずれ、分かるよ」 『コイゴコロ』って奴の、ちょっと変った表現方法を。 …さて、暢気な囚人連中の会話はさて置き、ガイズとデューラの追いかけっこは最早刑務所内を一周する勢いで、未だ続行中だった。 が、逃げるガイズの前方の廊下が行き止まりになっているのを見て取り、デューラは徐に足を止めると勝ち誇った表情で高笑いする。 「ハーッハッハッハッハ!どうだ、ガイズ!もう逃げ場は無いぞ!」 「くそっ!それ以上近づくな!」 突き当たりの壁に背を押し当てて、ガイズは必死に威嚇する。が、当然その叫びが目の前の男に聞き入れられることは無い。 (…というか、この会話が『バレンタインにチョコを渡そうとしている人間』と『チョコを渡されようとしている人間』の会話だと、一体誰が思うのだろうか) 「さぁガイズ!観念しろ!観念して俺のチョコレートを喰うんだ!!」 「ぜってぇ…イヤだ!」 追い詰められたガイズはデューラの横をすり抜けて逃げようとする。しかし逆に素早く腕を掴まれ、遠心力で振り回されるままに廊下の壁に背を叩きつけられた。 「…っくぅ!」 衝撃に呻くガイズの眼前に、チョコレートを摘んだデューラの手が迫る。 見開かれる金目。そして。 「喰らい…やがれぇぇぇぇっ!!」 「もがーっ!!」 …叫びと共にデューラの手にしたチョコレートは、とうとうガイズの口の中へと叩き込まれた。 (あああぁぁぁぁ…喰っちまったよぉぉ…) 吐き出したいが、デューラの手に口をしっかりと塞がれていてはそれも出来ない。仕方なくガイズは、もぐもぐと口に突っ込まれたチョコレートを食べ始めた。 …用心していた割に、意外にも味は美味しい。 「どうだ?美味いだろう?」 そんなガイズの思いを見透かしたように、自慢げにデューラが問い掛けてきた。 「ええ…まぁ…(味はな…)」 渋々ガイズが肯定すると、デューラは『そうだろう、そうだろう』と満足げに頷く。 「ほら。それならこっちはどうだ?」 言いながら今度は、小さなトリュフをガイズの口に押し付けてきた。 (あぁ…もう、ヤケだ…!) 一つ食べてしまえば、2個も3個も同じこと。 完全にヤケになってしまったガイズは床にぺたりと座り込むと、同じく座り込んだデューラが摘んでは差し出すチョコレートを素直に口で受け取った。 まるでエサを貰う小鳥のような姿が恥ずかしくて頬を染めるが、対照的にチョコを与えるデューラの方はそんなガイズの姿に非常にご満悦のようだ。 チョコを与える指先が、時折わざとのようにガイズの舌や唇を掠る。その度に跳ねる身体を楽しげにデューラは見遣った。 程なくして、小箱の中身は殆ど空になり。最後に己の指とガイズの口の端についたココアパウダーを仕上げのようにぺろりと舐め上げて、漸くデューラはガイズから離れた。 「…美味かったか?」 「…はい」 『味が』美味しかったのは事実なので、素直にガイズは頷く。 ただ、この後起こるであろう事を考えると暗澹とした思いに溜息をつきそうになった。 しかしガイズの予想とは反対に、デューラはあっさりとガイズから離れて立ち上がった。 「…残りも全部お前にやろう。好きに食っていいぞ」 何だか一つの事をやり遂げたような妙に充実した表情で、デューラは床に置かれた小箱を指差す。そして踵を返すと、本当にその場から立ち去ってしまった。 床に座り込んだままの状態で取り残されたガイズは、信じ難い思いで呆然とその後姿を見送る。 (何で…絶対に、ヤられると思ったのに…) もしかしたら、薬か何かでガイズが切羽詰った状態になるまで放置する気だろうか? 用心のためその場から暫く動かずにじっとしていたが、30分ほど経っても身体には何ら不穏な変化は現れなかった。 ということは、結論は一つ。 (…本当にただ純粋に俺にチョコレートを食わせるためだけに、追いかけてきてたのか…) 小箱を手に取り、ぼんやりと見詰める。 「何だよ…俺…」 散々刑務所中を逃げて逃げて、『イヤだ』とか『やめろ』とか。『冗談じゃない』とか――言ってしまったじゃないか。 「何だよ…もう…」 呟いてガイズは箱の中に残ったチョコレートの、最後の一個を摘み上げる。 ハート型のそれを唇に押し当てると、酷く冷たい感触がした。 「こんな事なら……」 素直に『ありがとう』くらい、言ってやればよかった。 …一方そのころの主任はというと。 「帰ったぞ」 意気揚揚と部屋に入ってきた上司の姿を、伺うように二人の部下は見遣った。 そしてシルヴェスの方が恐る恐る会話の口火を切る。 「あの…主任」 「何だ?」 「あ…その…どうだったんですか?今日の首尾の方は…」 「勿論」 ニィっとデューラの薄い唇が満足げに吊り上がる。 「成功に決まっているだろう。この俺様が、あーんな程度の事をしくじるとでも思ってたのか?お前らは」 いえ、アナタいっつもしくじってますがな。 …と二人の部下は同時に突っ込むが、勿論声には出さない。 「…成功…したのか…」 シルヴェスの後ろで、『信じられねぇ…』とひっそりジャーヴィーは呟いた。尤も、ごきげんのデューラを見るに、それは事実なのだろう。 もし失敗に終わっていたら、こんなにこのお方が機嫌よくいられる訳が無い。どころか、向こう一ヶ月は自分たちの身に八つ当たりという名の盛大な嫌がらせが待っているに違いない。 (…何にせよ、成功してくれたなら良かった…!主任、根が結構単純だからなぁ…これで暫くは機嫌よく過ごしてくれるだろう…) 失礼なことを考えつつ、ほっとジャーヴィーは胸を撫で下ろす。 それとは対照的に、いつでも心配性のシルヴェスは微かに眉を顰め、己の上司に声をかけた。 「ところで…『成功した』ということは、『彼』の返事はOKだったんですよね?」 (といっても、この人の事だから、単に無理矢理言わせただけなんだろうなぁ…) 可哀相に…139番…とココロの中だけでシルヴェスはそっと涙を拭う。 が。 目の前の椅子に足を組んで座り、ご機嫌そのものの様で紅茶を啜っていたデューラが、ぴたりと動きを止めた。 「……………『返事』?」 「はい。……あの、主任?しゅにーん?」 もしもーし、とシルヴェスが目の前でパタパタ手を振るが、緑の瞳は真正面に固定されたまま、ぴくりとも動かない。そして元々色の白いデューラの顔からは、みるみるうちにさーっと血の気が引いていった。 「……てた……」 「え……?」 「忘れて……たぁぁぁぁっ!!」 ガタン、と椅子を蹴倒しデューラは立ち上がる。 「え!?『忘れてた』って何……主任!何処行くんですか!?」 慌てて追いすがるジャーヴィーの声を無視して、金髪の後姿はドアを破壊しそうな勢いで廊下に飛び出していく。 「『忘れてた』って…もしかして…」 「『うっかり返事聞くのを忘れてた』ってこと、か…?」 「あぁぁ…せっかくチョコ渡せたってのに…主任…絶好のチャンスじゃないですか…!」 「まったく…なーにやってんだか、あのお人は…」 残された部屋で、二人の部下は揃ってはぁ、と溜息をついた。 END |
ちょっとおまぬけ主任。 チョコを渡すのに一生懸命になり過ぎて、 思いを伝えるのもその返事を聞くのもすっかり忘れてました。 それじゃ全然意味無いよ!!(涙) |
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