素直になるのが、一番なのです。









ちゅにっき・1









 他刑務所の視察は、余り好きな仕事ではない。
 犯罪者の更正率が高いのです、素晴らしいでしょう!などと太鼓腹の看守がそっくり返って喋りとおしていたが、興味も無いので欠伸混じりに聞いていた。
 刑務所なんて、犯罪を犯したクズ共を一時収容するクズカゴで十分だろう。何が更正だ、馬鹿馬鹿しい。
 そんなことより、早くあの刑務所へ、言わば自分の城へ帰りたかった。
 そして早くお気に入りのあの『玩具』で、遊びたかった。



「お帰りなさいませ、主任。視察の方は…」
「いつも通りだ」
 そう言って白紙の書類を押し付け、適当に書いて置けと顎をしゃくる。
「あの…主任…たまには自分で書きましょうよ…行ってもいない私がいつも捏造して書くっていうのも…」
「だがお前、何だかんだ言いつつこういうの得意だろ」
 からかうように言うと、心外だと言いたげにシルヴェスが口元を引き結ぶ。
「適材適所、だ。代わりに午後の巡回は俺が行ってやる」
「遊ぶだけの癖に…」
「何か言ったか?」
「いえ、何も…」
 首を振ってシルヴェスは、大人しく真っ白の書類に手を伸ばした。
 どうせ最初から受ける事になるくせに、最近生意気な言動が増えてきたと思う。

(ここ暫くあいつに掛かりっきりだったからか…部下の手綱もそろそろ締めておかないとな)

 これからの予定に思いを馳せていた所為で、何か物言いたげなシルヴェスの視線に最後まで俺は気付けなかった。







 執務室から出るやいなや、廊下の隅に見慣れた細っこい後姿を見つけて自然に頬が緩んだ。
 たかが3日の出張だったが、それでもその姿は随分と懐かしく思える。
 さて、今日は何をして遊んでやろうか…と不埒な事を考えつつ近づこうとした俺は、だが次のガイズの行動に不覚にもぎょっとしてしまった。

「あ……」
 ガイズが、此方に気付いて振り返る。いつもなら此処で怯えた表情をするか、生意気に睨みつけるか、または此方と極力目を合わせないようにするか…なのに。
 今日に限って、ガイズはまるで遭難した人間が救助を見つけでもしたようにほっとした表情になった。そんな表情を見せられた事のない俺は、思わずうろたえてしまう。
 しかも異常はそれだけでは終わらなかった。

「あの…!すみません…!」
 切羽詰った声とともに、ガイズがこちらに駆け寄ってくる。
 …自慢ではないが奴と出会って2年弱。
 向こうの方から声をかけられたことも無ければ、ましてこんな風に『貴方を待っていたの…!』状態で駆け寄られた事なんて一回も無い。
「な…何だ!」
 必死の顔で呼び止められ、僅かに潤んだ瞳で見詰められ…漸く搾り出した声はみっともない事に相当どもってしまっていた。
「…囚人の分際で俺様を呼び止めるとはどういう了見だ?」
「すみません…でも…あの…!」
 呼び止めてきたものの、ガイズの言葉は要領を得ない。
 言い出そうとしては止め、を繰り返し、手元で指をもそもそと動かしている。
「…さっさと言え!」
 とうとう業を煮やして怒鳴った俺に、ひっと小さく悲鳴をあげるとガイズは諦めたようにのろのろと被っていた帽子に手をかけた。

(帽子……?)

 そう言えば、今日の奴に何か違和感があると思ったら、しっかりと帽子を被っているのだ。
 此処に来た当初もそう言えば被っていた気がするが…確か規定違反で直ぐに脱ぐよう言われていた筈。
(その帽子をわざわざ引っ張り出して…何やってるんだ、コイツ…?)
 目の前のガイズは帽子に手をかけたものの、中々脱ぐまでに至らず幾度も躊躇っている。

(まさか…こいつハゲでもしたか?

 精神的なストレスで、毛根に多大なダメージを受ける事があると聞く。此処の刑務所に居る以上、毎日のストレスは多大なものとなっているだろう。看守のシルヴェスですら『私、そろそろ真剣にストレスで死ぬかもしれません…』と日々愚痴るくらいだ。

 だが、何故ハゲの悩みを俺に相談するのか。

(…返答次第によってはタダじゃおかねぇからな、ガイズ…)



 何気なく警棒に手を伸ばしつつ、ガイズが帽子を脱ぐのを待つ。
 だが帽子の下から現れたのはツルツルの頭皮…ではなく、何やら金と紺の二色に分かれた塊だった。20cm弱の大きさのそれは、ガイズの頭の上にべたーっとへばりついている。

(成る程。コレを隠したくて帽子を被っていたのか…)

 ハゲでなくてホッとする。だが、そもそもコレは何なのか。
 よく見れば金色の部分は妙に艶やかな毛髪で、紺色の部分は布で出来ていた。小さな手足らしき物も見える。人形か何かだろうか。
 尋ねようとした時、その塊が不意にもそもそ、とガイズの頭の上で蠢いた。

(動いた…。まさか、生き物なのか…?)

 息を呑む俺の前で、もそもそとその『未確認物体』は動き、身を起こす。
 小さな顔の中にある薄緑の一対の目が、此方の視線とかち合った。

 その時動きを止めなかった自分の心臓を、いっそ褒めてやりたい。

 その小さな顔には嫌と言うほど見覚えがあった。人形くらいのサイズに縮小されてはいるが、間違いなく毎朝鏡の中で対面する顔。

(嘘…だろう…?)

 ご丁寧に看守服を一式身に纏い、ガイズの頭の上にぺたりと座り込んで、ごきげんで何やら鼻歌のようなものを歌いつつ身体を左右にゆーらゆーらと揺らしている。



 ミニミニサイズの『自分』が…そこに、居た。








「何だ…コレ」
「あの…心当たりはありません…か…?」
「あるわけねぇだろ!」
 思わず怒鳴ってしまったが、もし俺がガイズの立場だったとしてもやはり俺を尋ねに来ただろう。
 それくらい、そいつは俺をそのまま縮小コピーしたような生き物だった。

「あの…3日くらい前から現れて…それからずーっと俺の傍を離れてくれないんですけど…」
「3日前…」
 3日前と言えば、丁度視察で出張に出た日だ。
 そう言えば先程シルヴェスが何か言いたげにしていた。…恐らく、この事だったのだろう。
「期待に添えなくて悪いがな。俺にも、心当たりは無いぞ」
「そう…ですか…」
 失望したようにガイズは俯く。その間も、チビはガイズの頭の上で髪を引っ張ったり頭を叩いたりと暢気に遊んでいた。
 …自分とそっくり同じ顔の生き物とは言…いや、だからこそ、そんな風に目の前でガイズにベタベタされるとどうにもこうにも不愉快になる。

(そいつは俺の玩具だ。…未確認生物の出る幕じゃねぇんだよ…!)

 ひょい、と手を伸ばして小さな看守服の襟首を摘み上げた。そのまま吊るし上げると、ガイズから無理矢理引き剥がそうとする。
「い…っ!!痛ってぇぇ!!」
 その途端ガイズの悲痛な悲鳴が上がった。よくみるとチビがその小さな手で離れまいとしっかりとガイズの髪の毛を握り締めている。…コレは痛がるわけだ。
 いたたた、いーたーいー、と情けない声を上げるガイズの目元に涙が滲んでいた。髪の20本や30本、我慢しとけと言いたかったがそれも酷かと言葉を飲み込む。…何より、こんなことでコイツにハゲが出来たら困る。
 仕方なく諦めると、俺はチビの襟首を摘んでいた指先を離した。当然重力に従い、小さな身体はぺしょっとガイズの頭の上に逆戻りする。そして渋面でその様子を眺めている俺にちら、と目線を向けるとガイズの頭にしがみついたままでニヤリと笑った。

「っの……!」

 こんなチビにコケにされて黙っている謂れは無い。
 カッとなった俺は今度は摘み上げるなんてまだるっこしい事はせず、平手でべちんとチビの頭を叩いた。今度はガイズの髪に掴まる余裕が無かったのか、小さな身体はガイズの頭からころりと転げ落ち、左肩にぶつかって一度バウンドするとそのまま床に落下する。

「…っわ、危ない!」
 が、床に叩きつけられるスレスレで、ガイズが伸ばした手が間に合った。左手で小さな身体を掬い上げ、そのまま胸へと抱え込む。
「だ…大丈夫か、お前…?」
 優しい手つきで抱き上げて指先でそっと頬を撫で、心底心配そうにそのチビの様子を伺う。そんなガイズの様子に妙に苛立ちが募った。

「…おい、お前。何助けたりしてるんだ」
「え…。だって…」
「ソイツに付き纏われて困ってたんだろ?だから俺の所に来たんだろ?」
「そう…ですけどでも、だからって怪我までさせるのは嫌です…」
 そう言ってガイズは緩く首を振る。
 その間に助けられたチビは憎らしい事に怪我一つしなかったのか、ひょこりとガイズの手の中で立ち上がるとちゅに、ちゅに、ちゅに、ちゅに…とどこから出てるのか不明な奇妙な足音を立ててガイズの腕を一気に駆け上った。

「え?…わわっ!」
 ちゅにちゅに、とよじ登られて、ガイズが思わずくすぐったそうに身を竦める。
「こら、お前…!」
 はっと気づいたときには既に時遅く。今度は奴はガイズの左肩の上にすっかりと落ち着いてしまっていた。
「どけって言ってるだろうが…!」
 むぎゅーっと襟首を摘み上げるが、先程の事で学習したのかチビは今度こそ俺に振り落とされまいと、左肩を通るガイズの黒いサスペンダーを小さな両手でしっかり掴んでいる。
「おい、ガイズ!」
「は、はい!」
「お前も何ぼーっとされるがままになってるんだ!くっつかれてるのが嫌なら自分で追い払ったらどうだ!?」
「え…あ…、わ、分かりました」
 頷くとガイズは首を捻じ曲げ、左肩のそれを振り返る。

「えーっと…その…ちょっとだけ離れて欲しいんだけど…な…」
 頼み方が下手なのは、小さいとは言え俺そっくりの姿に遠慮があるのだろう。
 だが、ガイズが駄目?と首を傾げると驚いた事にそのチビは応えるようにひょい、と立ち上がった。

(言葉…通じたのか…)

 と俺が淡い期待を抱いたのもつかの間、チビは離れるどころか逆にちゅにちゅにちゅに、とガイズの顔の方へと近づくと…

「うわ!やめろってば!はは…!くすぐった…!」
 ぴと。と剥き出しの首にしがみつき、そのまますりすりと猫の仔のように身を摺り寄せた。敏感な首にさらさらと触れる髪がくすぐったいのか、ガイズがしきりに身を捩る。
「おい…調子に乗るなよ、チビ…」
 不機嫌に言い募るが、わひゃわひゃと笑っているガイズとぎゅーっと一心にしがみつくチビはまるで聞いていない。

(何やってんだ、俺…)
 …取り残されたようでほんの少し虚しさが募る。

「ちょ、止め……、ぁ」
 くすぐったさに息も絶え絶えになっていたガイズが、ふと笑い声でなく、妙に甘い鼻に掛かった吐息を漏らした。
「ガイズ…?」
「や…駄目、だってば…!」
 耳元を擽られてガイズの背筋がびくんと跳ねる。頬が赤くなり、途切れ途切れの声でチビに止めるよう哀願する。
(まさか……)
 慌ててチビが執拗に擦り寄っている箇所を確認した。その場所に薄っすらと残る、紅の跡。
(しまった…ソコはガイズの性感た…)
「おい、ガイズ…!」
 止めようと手を伸ばした、その矢先。
「も…やだ……」
 ガイズの潤んだ瞳が縋るように此方を見詰めた。ふとその眼差しが、行為の最中に向けられるそれと重なる。無意識に乾いた唇を一度舐めた。

「ガイズ…」
 眼差しに誘われるがままにふらふらと手を伸ばす。顎に手をかけ、耳朶に唇を寄せ……

 その矢先、ぽこん、と軽い衝撃が額に走った。
「……?」
 邪魔されて上目遣いに目線を上げれば、憎々しげに此方を睨みつけるチビが視界に入る。
「何のつもりだ…」
 チビは、俺がガイズに口吻けようとしているのが激しく気に入らないらしい。頬を紅潮させて、ぽこぽこと小さな拳で俺の額といわず頬といわず、殴りかかってくる。

 …然程痛くは無いが、コイツに殴られているという事実に地味に腹が立った。

「…いい加減にしろよ…!?」
 今度こそ捕まえてやろうと手を伸ばす。が、ちゅにちゅに、とチビは俺の手を掻い潜ってガイズの反対側の肩に逃げ、腕を駆け下り、今度はサスペンダーをもそもそ這い登り…ととにかくうろちょろ逃げまくる。
「待て…!この…っ!」
 小さな生き物を夢中で追いかけているうちに、周囲から聞こえるクスクス、と笑う声に我に返った。振り返ればいつの間に現れたのか、廊下のそこかしこで看守や囚人がちらちらと此方に目線を送っている。『他人の笑いものになっている』。その事実に、カッと頬が熱くなる。

 寄りによって自分そっくりの顔の生き物が我が物顔でガイズに纏わりついているのを見るは、どうにもこうにも腹立たしい。腹立たしいのだが…
 だが、これ以上この未確認生物相手に醜態を演じる事は、俺のプライドが許さなかった。…まして、こんなガキを取り合っているように見られるなんて。

 ガイズが欲しくて、必死になっているように見られるなんて。

「…ふん」
 伸ばしていた手を引くと興味を失ったように鼻を鳴らして、ガイズから離れる。チビと俺との追いかけっこの舞台にされていたガイズが訝しげに此方を見上げた。
「…馬鹿馬鹿しい」
 捨て台詞のように呟いて、そのままガイズに背を向ける。

(そう、これで良いんだ)
(見世物にされるくらいなら…あのチビにガイズを好きにさせたほうがマシ…)

 だが背を向ける直前ちら、と視界に入ったあのチビは、憎たらしくもガイズの肩の上で、勝ち誇ったようにべーっ、と舌を突き出して見せる。
 駆け寄って払い落としたい衝動を拳の中に握りこんで、俺は足早にその場から立ち去った。



















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