「お前らは『アレ』について何ら疑問を抱かないのか…?」 「あ、主任も見ましたか。『ちゅに』を」 そう言って安心した様にニコリと微笑む部下の姿に、俺は激しい頭痛を覚えた。 ちゅにっき・2 「『ちゅに』…だぁ…?」 「ええ。あの子の名前ですよ」 「名前ってお前…それ以前にアレが何なのかとか疑問に思ったりはしねぇのか!?」 「…まあ、おおよその見当はついているので」 平然と答えてシルヴェスは書類の耳をとんとん、と揃える。 あの『チビ』と遭遇した後、その足で俺は再び部下の下へと向かった。 先程から何か言いたそうにしていたシルヴェス。その『言いたい事』は十中八九、あのチビの事だろうと推測したからだ。 「歩く音が『ちゅにちゅに』言うんで、『主任』に引っ掛けて皆で『ちゅにん』って呼んでたんですよ。で、『ちゅに』」 「名前の由来なんざどうでもいい!それより『見当はついてる』って言ったな!今!」 「ええ…」 「言え。あのチビ…『ちゅに』の正体は、何だ!?」 「ちゅにって…3日前から現れたんですよ」 「…らしい、な」 「で、それから3日間、ずーっと139番にべったりなんですよ」 「何!?……って、それが『ちゅに』とやらの正体に何の関係があるんだ!?」 「『ちゅに』は…どうやら139番が好きで好きで仕方ないらしくて」 「……それで?」 「一日中ずっと139番を目で追って、少しの間も離れなくて…彼はちょっと困っているみたいですけれど、見ていて微笑ましいものです」 「…………」 「見ていると『人間素直が一番だ』と。そう、思います」 「…シルヴェス。いい加減に本題に入らないか」 「ですから、『ちゅに』は…」 シルヴェスが口を開きかけた瞬間、鐘の音が鳴り響いた。 「…あ、巡回の時間ですね。失礼します、主任」 「待て、シルヴェス!奴の正体を、話してから行け!」 「ちょっと考えれば直ぐに分かりますよ…何度も言うように、『ちゅにが現れたのは3日前』で、『現れて以来139番にベッタリ』なんです。…では」 「シルヴェス!」 謎の微笑を残して、シルヴェスは出て行き、後には呆然とした俺が一人残された。 シルヴェスはどうやら簡単に奴の正体を吐くつもりは無いらしい。 ならば、と俺は今度は『ちゅに』自身を直接観察して、正体を確かめる事にした。 (それにしても……) この刑務所はどうなっているのだろう。明らかに不審な生物が大手を振って歩いていても、誰も何も言おうとしない。 例えば。 朝。点呼の時にはガイズの肩に、すでにあの『ちゅに』が乗っかっている。 朝食。ガイズの皿の脇に陣取り、ガイズのスプーンからスープなどを分け与えられている。 作業中。作業台の上に座り、ガイズが靴を縫うのをのんびりと眺めている。 「痛…!」 また針を刺したのか、ガイズが小さな悲鳴を上げた。涙目で眺める指先を、横からちゅにも覗き込む。そしてその指先を両手でぐいっと引き寄せて、血の滲んだ指先に小さな舌を這わせたのが見えた。 その後昼食と夕食。光景は、朝食時と同様。 そして就寝前の自由時間。相変わらず『ちゅに』は指定席らしいガイズの肩に陣取っている。 周りの人間はそれを見ても何も言わない。どころか『ちゅに』にまで賭けに参加しないか、と誘っている光景を目の当たりにして、クラクラと目眩がした。 (たった3日で…思いっきり馴染んでやがる…) 「主任…顔色悪いですよ…?」 見かねたのか、珍しくジャーヴィーの方から俺に気遣わしげに声をかけてきた。 「何なんだ、アレは…何で誰も存在を疑問に思わない…!」 「…うーん、慣れたんじゃないですか、皆。『美人も3日すれば慣れる』って言うくらいだし」 「それは明らかに『慣れる』の種類が違うだろ…ってか慣れたらダメだろ…!」 「でも139番が目に入ると、いっつもセットで目に入りますからねぇ…ホント、ずっと一緒でしたよ?眠るときも」 「……眠る…とき、も!?」 その聞き捨てなら無い言葉に、俺は思わず139番の独房まで駆け出していた。 見ればジャーヴィーの言葉通り、就寝前の点呼を終えてすでに施錠済みの鉄格子の向こうで、ガイズの枕の隣に『ちゅに』がいそいそと小さな布団を敷いている。 「ちょっと待て…!こら!」 ガチャガチャと鍵を開け、独房の中に飛び込む。 突然の俺の乱入に一瞬ガイズも、ちゅにさえも不意を突かれて動きを止めた。その隙を逃がさず、ちゅにの小さな身体をがしっと掴み上げる。 俺に捕まってしまったことに気付くや否や、ちゅには猛然と暴れ始めた。が、小さな手足ではどれだけ振り回しても俺にとっては痛くも痒くもない。 嫌がって暴れるちゅにを流石に見咎めたのか、呆然としていたガイズがおずおずと此方に声をかけてきた。 「あ…あの…!」 「何だ、ガイズ。何か文句でもあるのか!?」 「いえ…前確かに俺、『何とかして欲しい』って言いましたけど…もういいですから、だからソイツを離してやってくだ…」 「馬鹿が!いいか、よーく聞けガイズ。刑務所内は『ペット厳禁』だ!!」 「ペットって…そいつは!」 「口答えするな!」 「待てよ!何処に連れて行くんだ!」 「貴様の知った事か!」 怒鳴り返して、背中に食って掛かるガイズを突き飛ばすと俺は荒々しく独房の鍵を閉めた。 「シルヴェス!確か何処かに鳥籠があったな!あの、古いやつだ!持って来い!!」 「はい…って、主任!ちゅに、連れてきちゃったんですか!?」 言われるがままに使っていなかった鳥籠を運んできたシルヴェスは俺の手元でジタバタと暴れるちゅにを見て目を見開く。 「ちょっと主任…まさか、」 「こうするんだよ!」 ガチャ、と錆び付いた鳥籠の扉を押し開けて、俺は捕まえていた『ちゅに』を中に押し込むと素早く扉をしめた。そして仕上げに小さな鍵までかける。 流石に焦ったように扉に駆け寄ったちゅには、カチャカチャと格子を揺らして外に出ようとする。…が、小さい物とは言え入口には錠がしっかりと掛けられていて、外から鍵を外さなければ扉が開く事は決してない。 余裕を無くして籠の中、右往左往するその姿を見ていると今日一日の苛立ちが消えうせるくらい気分がスッとした。 「主任…!そんなことしちゃ可哀相ですよ!」 「何が『可哀相』だって?…いいか、シルヴェス。お前随分コイツに肩入れしてるらしいが、この鍵を外してコイツを野放しにしたら…」 思わせぶりに言葉を切ると、シルヴェスがこくりと喉を鳴らす。 「分かってるだろうなァ…?」 耳元に囁くと蒼褪めたシルヴェスの首がこくこくと何度も縦に振られた。その様子に満足する。 「それなら良し。…後は、コイツをどうするかは明日考える」 「でも主任…『ちゅに』は」 「何か言ったか!?」 「いえ…!」 ビク、と肩を竦めるシルヴェスに満足して、俺は部屋を出た。アレくらい脅かしておけば、幾らシルヴェスでもちゅにを助け様とはしないだろう。 ガイズに付き纏う目障りな『ちゅに』は捕まえた。後の処置は、明日考えるとしよう。曲がりなりにも俺と同じ顔だから、流石に命まで奪うわけには行かないが… …などと明日の事ばかり考えていた俺は、すっかり忘れてしまっていた。 自分の部下は、シルヴェス一人ではない事を。 「しゅにーん…あれ…?誰も、居ない…?」 上司の執務室に入ったジャーヴィーは、人気の無い室内に首を傾げる。 「報告書どうすりゃ良いんだ…?ま、机の上に置いておけば見てもらえるか」 そのまま書類の束をバサ、と机に載せた時、ジャーヴィーは机の上に見慣れないものがある事に気付いた。 「鳥籠…?」 その中を覗き込んで、目にした物にげ、と声を上げる。 「『ちゅに』…何やってんだ…」 錆びた籠の中で、まだちゅには脱出を諦めていなかった。小さな手でカシャリカシャリと格子を揺らしている。その光景は、妙にジャーヴィーの心を揺さぶった。 (何か……) 恐らく、閉じ込めたのは主任なのだろう。それは、分かりすぎるほど分かる。ここで『ちゅに』を逃がしたら大目玉だろうことも。だが。 仮にも上司の(小さな)そっくりさんが。 檻に入って『出してくれー!』というように此方を見ている。 (見てられねぇ……) はっきり言って気分的に、イタイ。 (…別に外に出したからってなぁ…大した悪さするわけでなし…) お誂え向きに、鳥籠の鍵らしい小さな鍵は、机の上に転がったままだ。 (大丈夫だよ…な…?) ジャーヴィーは指を鍵に伸ばした。 カチャ、という軽い音が響いた。 首尾よくちゅにも排除出来て、久方ぶりに機嫌よく俺は廊下を歩いていた。 (そうだ。ガイズの様子でも、見に行ってやるか…) ふと思いつく。そう言えば3日も留守にしていたのに、帰って早々のあの騒ぎの所為でちっともガイズで遊ぶ事が出来なかった。 (邪魔者も居なくなった事だしな…さて、何をしてやろうか…) ガイズの独房に足を向け、これからの楽しい想像に身を委ねる。と、ふと廊下の前方を走る小さな生き物の影が目に止まった。 「………………鼠…だよ…な…?」 だがそんな儚い期待を打ち砕くように、耳を澄ますと聞こえる、ちゅに、ちゅに、ちゅに…という足音。 「な…!何でだ!?」 慌てて踵を返す。そして戻った執務室で見たのは、机の上の空っぽの鳥籠。 「誰だ野放しにしやがった奴はーっ!!」 と、怒鳴ってももう遅い。 とって返して139番の独房へ辿り付いた時…『ちゅに』は丁度鉄格子の隙間からその小さな身体を独房の中に滑り込ませていたところだった。 ちゅに、ちゅに、という足音にベッドの上で俯いていたガイズがぱっと顔を上げる。 「お前……!」 小さく叫ぶとガイズはベッドから飛び降り、駆け寄ってきたちゅにを手の中に迎え入れた。 「無事だったのか……!?」 涙混じりに問いかけるガイズに応えるように『ちゅに』が胸の中に飛び込む。 「無事だったんだな……?良かった……っ!」 小さな身体を胸にしっかりと抱き締めて、ガイズが泣きそうな顔で微笑む。 陰でその表情を目にした瞬間、胸の何処かがずきりと痛んだ。 寒くないか…?こんなに冷たくなってさ…お前…と甲斐甲斐しく身体を擦ってやりながら、ガイズは柔らかな笑顔を浮かべる。 俺とよく似た、俺ではない生き物に向かって。 優しいその光景を目にしていると、胸が軋んだ。 …そのまま、ゆっくりと踵を返した。 → |
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