「…シルヴェス」 「…はい」 「『ちゅに』は、一体何なんだ…」 「それは貴方が一番良く知っている筈ですよ…主任」 そう言ってシルヴェスは笑んだ。 ちゅにっき・3 「…分からない」 「『分からない』んじゃなくて、『分かりたくない』んでしょう。…ねぇ主任、『無意識』って分かりますか?」 「…………?」 「自分のしたい事、やりたい事、言いたい事…そう言ったものを我慢して表に出さないように抑圧したとしても…人間は完璧に自分の『本当の思い』を押さえ込む事なんて、出来ないと言います」 「本当の思い…?」 「言わないように言わないように…と押さえ込んでいる事に限って、何故か不意に口をついて出てきてしまう瞬間がありますよね?…押さえ込みすぎて自分でも気付けなくなっている、本当の思いも、そんな風に『無意識』の形を借りて、不意に現れることがあるんじゃないでしょうか?」 「だから…何が言いたい」 「『人間、素直が一番』ですよね?」 ゆっくりとここ数日の出来事を思い出す。騒動の原因は、もうおぼろげに分かりかけていた。 3日前に出張でこの刑務所を留守にした俺と、3日前に現れた『ちゅに』。 プライドが邪魔して『ガイズが欲しい』と決して言えない自分と、人目も気にせずただ一心にガイズだけを求めることの出来る『ちゅに』。 あの小さな生き物が、俺の押し殺した望みを具現化したものだとしたら。 (…何て、認められるわけが、無いだろう…) ガイズと一緒に食事して眠って、怪我した指先を舐めて癒して、片時も離れず一緒に居る。 そんなことを、この俺が求めているなんて。 だが。 ふっと夢想する。もし俺がプライドを――自尊心をほんの少しだけ捨てて、『ちゅに』の何分の一かでも素直に思いを伝えていたら。 (『無事だったんだな……?良かった……っ!』) あの笑顔の欠片でも、ガイズは俺に見せてくれただろうか。 ベッドの中でも考えつづけていた所為か、起きてからも酷く頭が痛かった。こめかみを揉みながらのろのろと制服に着替える。 部屋から出た途端聞こえてきた聞きなれた声に、ぴくりと肩が跳ねた。 廊下の向こうから歩いてくるのは、ちゅにを胸に抱いたガイズだ。 ガイズの方はまだ此方に気付いていない。代わりに、ちゅにが此方にちらりと目線を向けた。 「…ん?どうしたんだ?」 胸に抱えられたちゅにがついつい、とガイズのシャツを引っ張る。 呼ばれたと思ったのか顔を近づけたガイズの頬に、そのときちゅにが手を伸ばした。 「…何?」 そのまま目を閉じて身体を伸ばすと、ちゅには小さな口元をガイズの唇に近づける。 その光景にドク、と心臓が鳴った。 焼け付くような熱さ。みっともないとかそう言ったことを全て置き去りにして、ただ純粋に『嫌だ』と思う。 「あ……っ」 気付けば形振り構わず二人の元に駆け寄り、ガイズに口吻けようとしていたちゅにを引き剥がしていた。 昨日の俺の行いを思い出したのか、ガイズがぎょっとして目を見開く。 「デューラ…!…ソイツを、返せよ!」 我に返って怒鳴るガイズのその顔は、昨夜ちゅにに見せていた穏やかなそれとはあまりにも遠い。 「…嫌だ」 「嫌だって…」 一言で断る。真っ直ぐに目を見れば、居たたまれなくなったようにガイズが目を逸らした。 「何でだよ…何で」 「…それは」 答える代わりにガイズの腰を抱き寄せた。そして細い顎を掬い上げる。 目を閉じる。唇を寄せる。先程ちゅにがガイズにしようとしていた行動を、そっくりなぞるように。 「…それは俺が、」 唇が触れ合う直前に、聞こえるか聞こえないかの声で囁いた。 『 』 ガイズの目が見開かれる。薄く開かれた唇が何か言葉を紡ごうとするのを遮るように、顎を掴んで自分のそれで塞いだ。 唇を解放しても、暫く至近距離で見詰め合ったまま二人、何も言えなかった。 張り詰めた空気を、俺の手から漸く抜け出した『ちゅに』が破る。 ちゅにちゅに、と二人の間に入り込んできたちゅには、だが今度は俺の邪魔をしようとはしなかった。代わりに俺の胸に小さなその手を押し当てて、じっと此方を見上げる。 「何だ……」 「どうした…?お前…」 訝しげな俺たちの顔を交互に眺め、ちゅには小さく笑った。 小さな顔に似つかわしくない、どこか大人びた微笑。 その笑顔が、ゆっくりと淡い金の光に包まれた。そして俺達の目の前で、ちゅにの輪郭は見る見るうちに淡く空気に溶け込んでいく。 「え…?何…?『ちゅに』…!」 ガイズが慌てて手を伸ばした。だがその指先は消えかかったちゅにの身体を虚しく通り抜けるそしてその矢先――。 パン、と金の光が弾け、『ちゅに』は――、 あの俺にそっくりの小さな生き物は、姿を消していた。 「『ちゅに』…!?」 俺の腕の中で首をあちこち巡らし、ガイズはちゅにの姿を探す。 「心配するな。…アイツは『あるべき所』に、還っただけだ」 「あるべき、とこ…」 ぼんやりと繰り返すガイズに頷き、だから安心しろ、と頬を撫でてやる。 その感覚にふっとガイズは我に返ったのか、抱き締められている自分に初めて気付いたように俺の腕の中で気まずげに身じろいだ。 「…って、あの…さっき…」 『さっき』と言うのは、『ちゅに』が消えた事で一瞬忘れ去られていた、俺の言葉だろう。 漸く思い出したのか、ガイズがじわじわと頬を染める。その反応につられて此方まで今更ながら決まりが悪くなってきた。 「いや…だからアレは…」 念のためもう一度言っておいたほうが良いだろうか。さっき言った内容はあまり聞こえていなかったかも知れない。 「アレは…」 さっきは勢いもあって言えたものの、改めて口に出すのはどうにも言いづらい。 「『アレ』、は…?」 促すようにガイズが口を開く。 「アレは…」 「「「『アレ』、は…?」」」 「…………?」 ふと違和感に口を噤んだ。二度目に聞こえたガイズの促す声。…に、何故か何人もの声が重なって聞こえた…気が、する。 (…まさか) 冷や汗を感じつつ、素早く周囲の気配を伺った。…すると、居るわ居るわ。廊下の陰だの、部屋の中だの、荷物の陰だのに山のような看守と、囚人の影。 (い…何時から居たんだこいつ等…!) 蒼褪める俺を余所に聞こえる暢気な会話。 「ちっくしょー…!ホントに告りやがったぁ…!」 「何で今月なんだよー!!来月だったら俺の一人勝ちだったのにー!」 「誰だ!?『今月告る』に賭けてた奴!?」 「エバだ、エバ!ちっ!くっそー…アイツホントに勝負強いよなぁ…」 (一部始終見られてた…?それどころか…賭け事にまでされてたなんて…!) 良く見ると、ギャラリーの背後に立ったシルヴェスが目元をハンカチで拭いている。 「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」 余りの恥ずかしさに、俺は咄嗟にドン、と抱き締めていたガイズを突き飛ばした。完全に不意を突かれたガイズはよろめき、廊下に尻餅をつく。 「痛って…!なにす…!」 「『アレ』は…!ちょっとした冗談だ!」 「「「ハァ!?」」」 非難轟々、といった声は、ガイズのものでなく周囲のギャラリーの声だ。 「オイオイ、そりゃねぇだろ今更!」 「うっわー。ひっどーい。主任、サイテー」 「ってか、苦しい言い訳だなオイ〜」 「…っ!黙れ黙れ黙れ!!」 好き勝手にブーイングする周囲を一喝し、呆然と此方を見上げるガイズにびしっと人差し指を向ける。 「ハッ!馬鹿め!!このデューラ様が貴様みたいなガキ風情にどうこう…なんて事がある訳無いだろう!」 「え…?」 「まんまと騙されやがったな!ざまぁ見やがれ!」 「……」 唇を噛み締めて腹立たしげにガイズは此方を睨みつける。 見る見るうちに険悪になっていくその眼差しに、『馬鹿か俺は…!』と後悔するが、一度勢いづいてしまった言葉は止まらない。 ばーかばーか、と勢いのままに子供のように言い捨てて、俺は拳を握ると憤然とガイズに背を向けた。そのまま、競歩の如き急ぎ足でその場から立ち去る。 コツコツコツ、と革靴の靴音が高らかに廊下に鳴り響いた。その音をBGMに俺は先程の己の行為を思い返す。 (畜生…何やってんだ、俺は…) …コツコツコツ …に、ちゅに、ちゅに (だけどな、大体アレはあのギャラリー連中も悪……) …コツコツコツ …ちゅに、ちゅに、ちゅに (…って……何かさっきから、聞こえる気が…) …コツ、コツ… …ちゅに、ちゅに、ちゅに、ちゅに、ちゅに… 「気のせいじゃ…無い!?」 足を止めても、その異音は聞こえる。嫌な予感に俺はばっと背後を振り返った。そして、我が目を疑う。 小さな小さな生き物が廊下をちゅに、ちゅに、と何処から出てるのか謎な足音を発しつつ疾走していた。俺とは逆方向に…つまり背後のガイズを目指して。まっしぐらに。 「何で……何でまた出て来てるんだよ、お前ぇぇぇっ!!」 …と、俺が怒鳴ったのと、 「えぇ!?何、お前、また此処に来ちゃったのか!?」 とガイズが叫ぶのと。 「…………っvv」 『ちゅに』が嬉々としてガイズの足に抱きついたのは、殆ど同時だった。 そのままちゅには指定席のガイズの肩によじ登り、ごきげんで鼻歌を歌い出す。 (な…何で…!) 混乱の中にありつつも、めまぐるしく働く俺の脳は一つの結論を導き出した。 『ちゅに』は、俺の『本当の思い』なわけで。 さっき俺は『本当の思い』を素直に口にすることが出来たから、だからちゅには役目を終えて俺の中へと戻った訳で。 …逆に考えれば。 もしも俺がまた自分の思いに嘘をついて、素直でない行動を取ったとしたら。 (また…コイツが何度でも出てくるってことか!?つまりコイツを出したくなければ、絶えず『自分の気持ちに素直』で居ろと!?) 冷や汗をかきつつ辺りを見回す。廊下のそこかしこで、目をカマボコ型にして此方を伺う奴らが見えた。 …こいつらに笑いものにされてそれでも尚、俺はプライドに邪魔されず自分に正直で居られるだろうか…? (出来るわけ、ねぇ…!) 葛藤する俺を見て、ちゅには呆れたようにふん、とガイズの肩の上で鼻を鳴らす。 そしてプライドと本心の狭間で揺れ動く俺に見せつけるように、ガイズの頬に音を立てて一度口吻けた。 END |
こちらはG-CLEFのヒガシ様に捧げさせていただいたものです。 ヒガシ様ご考案の『ちゅにん』に惚れ、勝手に書いてみました。 それにしてもちっちゃい攻めっていいですよね…(悦) 小さな主任こと『ちゅにん』にご興味をお持ちになった方は、是非こちらの『ちゅにんどうめい』様へv 戻 |
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