口吻けという行為に意味なんて無いと思っていた。




口吻けの代わり




 荒淫の果てに気を失ったガイズが、冷たい石の床に頬をつけ、寝息を立てている。
 寝息こそ穏やかなものだが全身を覆う咬み傷や薄紅の痣、そして全裸の内腿を伝う白と紅の二種類の体液が先程までの行為の陰惨さを物語っていた。

「…………」

 壁に背を預けて煙草を咥えつつその様を眺めていた男は、ふっと溜息と共に紫煙を吐き出す。
 そして濃紺の制服の胸元に白く落ちた灰を煩わしげに手で払った。

「………おい」

 横たわったままのガイズの脇腹を男は――デューラは硬い革靴の爪先でやや乱暴に突付く。

「おい、起きろ。いつまで休んでる。…まだ終わってないぞ」
「ん…………っ」

 脇腹の痛みにガイズは眉を顰めて逃げるように身体を捩る。
だが先程まで散々貪られていた身体は未だ覚醒を拒否し、僅かばかりの苦痛では目覚める気配すら無かった。

「ちっ……」

 忌々しげに舌打ちしたものの、デューラはこれ以上の行為の続行を諦めた。
 壁に押し付けて立ったままで一度。そしてその後床に押し倒して続けて二回。
 計三度の行為で酷使された身体にこれ以上の行為を強いては――壊してしまいかねないということは、横たわるガイズの憔悴した寝顔を見ればさしものデューラでも容易に想像がついた。

(死んでしまったら、つまらんしな)

 勝手な事を考えつつ、代わりに傍に片膝をつき、無防備に横たわる肢体を無遠慮に観察する。

「…細いな」

 腰の辺りに徐に手を伸ばし、引き締まった腹部に手を置いた。
 適度にに筋肉のついた身体は決して弱々しくは無いが、それでも未だ発育途上で華奢な印象は拭えない。
 特にデューラに執拗に行為を迫られるようになってから更に細くなった気さえする腰は、男の欲望を受け入れることが出来るのがいっそ不思議なほどだった。
 腹部に当てた指先を更に上に向かって這わせる。
 日に晒されることの無い肌は最初の頃よりやや白くなり、デューラのつけた赤い咬み傷が雪の中の花弁のように映えていた。
 何か執念すら感じられるほど念入りに付けられた咬み跡には、所々うっすらと血が滲んでいる。
 傷として刻み付けられた跡はまるで明確な所有の証のようで。
 それを指先で辿りつつデューラはうっすらと笑んだ。
 が、ガイズの首筋にやや薄くなった痣の跡を見つけ、程なくその笑みも消え、代わりに苛立たしげに眉根が寄せられる。
 今日のように彼を捕え、押さえつけ、欲望を埋め込み、体中に散々所有の証を刻み付けた。忘れないように。
 それは数日前のこと。…たった、数日前のことだ。
 どれほど傷をつけても跡を刻んでも、傷は癒えるし跡だって永遠に残るものではない。
 今だけは鮮やかに残る紅を見詰めつつ、幾許かの虚しさを、覚えた。

 胸の辺りで所在なげに彷徨わせていた指先を、今度はそろそろと持ち上げて頬へと当てる。

「…う……ん」

 手の感触を嫌がるようにガイズが小さく唸って、顔を背ける。黒い髪がその動きを追いかけてさらりと頬に落ちた。
 その髪を掻き上げれば小作りな顔が露になる。閉じられた瞼や鼻筋に指を滑らせた後、デューラは徐にガイズの頬を壊れ物を扱うような手つきで包み込んだ。
 そして親指でそっと辿るように唇に触れる。が、触れた瞬間ぴくりと身を震わせたのは触れられたガイズの方でなく、触れたデューラの方だった。
 熱い物にでも触れた時のように、指先がぱっと離れる。
 そう言えば様々な、本当に様々な行為を強いながら、でも彼に口吻けた事は一度も無かったと。
 この時初めて、気づいた。



 口吻けと言う行為に 意味なんて無いと思っていた



(唇はね、そりゃあ特別さ)
 以前気まぐれに買った商売女が、事の後に煙草を燻らせつつぽつりと言った。
 男を咥えて。舌で愛撫して。その欲望すら受け止めて。
 そんな行為に使われるそれの何が『特別』なのかと嬲るように嘲ったデューラを、だがその女は憐れなものを見るような目でひたと見据えた。

(『特別』を知らないのかい…?それならあんたは可哀相な人だ)

 哀れまれるのに腹が立って衝動のままに幾度も女を殴ったが、憐憫を含んだその眼差しが変わることはなかった。



 その時の事を、不意に思い出してデューラはガイズを、その色を失った唇を見詰める。
 この唇でガイズは誰かに口吻けた事があるのだろうか。誰かの口吻けを受けた事があるのだろうか。
 彼は知っているのだろうか。自分の知らない、『特別』というものを。

 彼の『特別』を思った途端、身を焼くような熱が沸き起こる。
 それはガイズの身体にいずれ消える跡を刻むたびに沸き起こるあの焦燥感とほんの少し、似ていた。



 まるで何かに憑かれたように両手でその頬を包み込む。そして身を屈め、そのまま唇を寄せる。ガイズの起きる気配は、無い。
 そのまま唇を重ねようとした。その刹那。

「…………っ」

 ゆるゆるとガイズの唇が動いた。声にこそならないが、その唇は確かに愛しげに何かの言葉を刻む。
 名前を、呼んだようだった。

 名前を。

 …名前を。


 ……誰、の?



「く……っ」
 押し殺した笑いがデューラの喉から漏れる。それは、呻きに限りなく似ていた。
 顔を離すと代わりに人差し指の背を、ガイズの唇に押し当てる。僅かに開かれた唇が柔らかい感触を伝えた。
 痺れるような感覚に、デューラは背筋を震わせる。



(唇は、特別さ)
(分からないあんたは…可哀相な人だ)



「…『可哀相』、か」
 ならば今の自分は可哀相でないと言えるのか、とデューラは自嘲する。
 『特別』に気付いたことでこれ程辛い思いをするなんて。

 未練を断ち切るようにガイズの傍から勢いをつけて立ち上がると、デューラは手早く衣服の乱れを直した。
 襟元を止めなおし、手袋を着けようとして――ふと己の指を見詰める。
 彼の唇を、まだ指が覚えていた。

 目を伏せて、その指に己の唇を押し当てる。
 まるでそれが、口吻けの代わりと言うように。

 硬い己の指が唇で触れた瞬間、在り得ない柔らかさを宿したように感じられた。



 そのまま横たわるガイズを残し、革靴の足音が遠ざかっていく。
 そして重い扉が、閉ざされた。










「…………っ」
 冷たい床に転がされたままの少年が、小さく身を震わせて胎児のように蹲る。
 未だ夢うつつの中にある唇が、誰かに呼びかけようとするかのようにゆる、と動いた。

「……、ラ…」

 漏れた声を追いかけるように、閉じられた瞳から涙がスウッと零れ落ちる。

「……デュー、ラ」




 デューラ。




 その唇が呼んでいたのは――『彼』の、名前。
 そして確かにそれはガイズの――『特別』だった。














END















漸く書けた両思いデュラガイ。
良かったなぁ、主任(笑)。
















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