(女の子には優しくしなくっちゃダメよ、デューラ) 母に繰り替えし教えられた言葉は俺の行動を今も縛り付ける。 (女の子はか弱いんだから、乱暴しちゃ絶対、ダメ) …別に俺は何処かの看守のようなマザーコンプレックスでは無い。断じて無い。 ただ十数年にも渡って暗示同然に繰り返された言葉をあえて破ることは…中々、出来ないものだ。 だから、俺はこういった行為に走るのかも知れない。 LUNA 「…楽しそうですね」 そう憎まれ口を叩いて、ヴァルイーダが顔を上げる。 今日はかなり手酷く責めたというのに、もう自力で起き上がって身支度をしていた。 その辺りは流石に元軍人、といったところか。 思わず感心したが、生意気な発言だけは聞き捨てならなかった。 「…調子に乗るなよ。もっと酷く、されたいのか?」 「遠慮しておきます」 そっけなく答えたヴァルイーダは汗で顔に張り付いた髪を無造作に背へと流す。 男の髪だというのにその銀糸は、信じ難い艶をもって月明かりに輝いた。 髪も勿論だが、顔も女と見まがうばかりの美貌だ。 幼い頃から言い聞かされてきた言葉のせいか女を抱くのに必要以上に気を使う性質になってしまった俺にとって、こいつのような男のほうが遥かに都合が良かった。 …ただヴァルイーダに関してはその美貌を補って余りある性格の悪さに、目を瞑らなくてはならなかったが。 それでも目を付けている相手は他に幾らでも居る。特に―― (…たかが看守が、偉そうにすんな!!) ついこの間入ってきた、あの生意気なガキ。可愛い顔をしているくせに、勝気で負けず嫌いで、意地っ張りで。 この刑務所で徐々にあの矜持をへし折っていくのはどれ程楽しいだろうか―― 楽しい想像に身を委ねていると、小さな笑い声が傍らで聞こえた。 「…………?」 もうすっかり身支度を整えたヴァルイーダが、ちら、とこちらを見てはくすくすと笑う。 「本当に…楽しそうですねぇ…」 「何笑ってる…」 「あの新入りの可愛い子の事でも、考えてましたか?」 「……!!」 図星を突かれて、思わず頬が紅潮した。 「何を…言ってる!」 脅すように警棒に手を伸ばすが、ヴァルイーダはちっとも笑うのを止めない。 「くく…っ!だって貴方、思いっきり顔に出てましたよ?」 「顔…に…?」 咄嗟に頬に手を当てしまう。その反応が又更に可笑しかったのか、一層激しく笑うヴァルイーダはついに身体をくの字に折り曲げて身悶えた。 「ええ、そりゃあもう楽しそうな顔で…!全く…どうせあの子をこれからどうやって苛めてやろうか…vとか考えていたんでしょう!?」 告げられる言葉は悔しいことに一々図星を突いているから言い返せない。 …だから無駄に頭のいい奴は嫌いだ。 「笑うな!」 「無理ですってば」 「笑うなー!!」 顔を真赤にして拳を握り締める。――と、ふと気付くと先程まで大笑いしていたヴァルイーダが、今は真剣な表情でこちらをひた、と見据えていた。 「でも、ダメですよ」 「何だと…?」 「ガイズを苛めちゃ、ダメです」 その言葉に、今度は俺のほうが意地悪く笑む。 「何だ…つまりはそういう事か。あのガキはもうお前の『お手つき』だって事か?」 あのくらいのガキなら、女同然のお前でも手出し出来るよなぁ?と先程のお返しのように煽るが、ヴァルイーダは一切挑発に乗ろうとはしなかった。 代わりに、軽く溜息をつく。 「そういう訳ではありませんが…」 「じゃあ、どういう訳だよ」 「貴方の母上のお達しですよ?デューラ」 告げられた言葉は…はっきり言って訳が分からなかった。 「はぁ?どういう意味だ?」 訝しげに問い返す俺にヴァルイーダはきょとん、とした表情で返す。 「え?だってガイズは、女の子ですよ?」 女の子は苛めちゃダメでしょう? 当然のように告げられた言葉に、俺の頭の中は真っ白になった。 「…………は?」 「だから。貴方は母上に『女の子苛めちゃダメ』って言われて育ってきたでしょ?」 「まぁ…な」 「ガイズは女の子なんです」 「…………」 「故に結論は、『ガイズを苛めちゃダメv』ですv」 にっこりと微笑んで人差し指を高々と差し上げるヴァルイーダ。 その目の前で俺は、あのガキに関する記憶を徹底的に洗いなおしていた。 (女…?本当にそうなのか…?だが意外に筋肉はあって…いや、でも割と腰も細っこいしな……声はどうだ?あの年であれだけ高い声って、少しおかしくないか…?女が無理して低めの声を出そうとすれば、ああなるんじゃ…) 男か女か。頭を抱えてぐるぐると考え込む。 (…あ。でもちょっと待て。俺最初にあいつの身体検査、担当しただろうが!!) それは未だ新しい記憶。 服従の屈辱に寄せられた眉と、噛み締められた唇。 暴力に震える身体と、涙を浮かべつつも最後まで屈することの無かった瞳。 あらぬ場所を無遠慮に開かれて、咄嗟に上がった悲鳴。 内腿を伝い落ちた血が、間違いなくそういった行為を成された事の無い肢体だと、証明していた。 「…デューラ。デューラ?…何だか幸せそうな顔してますよ?」 おーい、と目の前で手をひらひらと振られて、邪な記憶に意識を飛ばしていた俺ははっと我に返った。 ヴァルイーダの薄い色の目には全て見透かされている気がして、振り払うように怒鳴りつける。 「…何でもない!それより、お前のさっきの話、嘘だろ」 「どうしてそう思うんです?」 「見たんだよ、俺は!!」 「…そうですか。もう見たんですか。…流石はデューラ。手が早い」 感心した様に言って、ヴァルイーダはわざとらしくぽん、と手を叩く。 「お前、わざと言ってるだろ…それより!そんな利にもならない嘘をついて、何を企んでいる!?」 ヴァルイーダは頭がいい。刑務所内にある身だと言うのに、油断をすれば口先一つで踊らされてしまう。 「企んでる、だなんて…」 本当のことですよ、と心外そうにヴァルイーダは返す。 「本当のこと、だぁ?言ってるだろうヴァルイーダ。俺はあいつの身体を見ている!あいつは、正真正銘の男だ!」 「デューラ…」 ヴァルイーダが静かにこちらを見詰めた。どきりとするほどに深遠な眼差し。 「な…何だ」 「あなたって…本当に物知らずさんだったんですねぇ…」 「何だとー!? カッとなってその胸倉を掴み上げる。だがヴァルイーダは哀れむような視線で続けた。 「まぁ…貴方刑務所暮らしが長いから、仕方ないのかもしれませんが…」 「…ちょっと待て。俺は確かに『看守』という仕事をしているが、それを『刑務所暮らしが長い』とは言わないだろう…!」 わざわざ言われなくても、こいつには分かっているに違いない。つくづく気に障る男だ。 「そうでしょうか?それはさておき」 ヴァルイーダが、不意に表情を消し、こちらに向き直った。 「…何だ」 「海の満ち引きは月の引力による物だって――知ってますか?」 「あぁ?」 突然変った話についていけず、間抜けな声が漏れる。 「あの海の水でさえ月の引力は動かしてしまう――」 「…………」 俺はヴァルイーダの視線を追って、窓から見える満月を振り返った。 薄青い真円のそれが、今日は何か得体の知れないもののように見える。 「ところで…人間の身体の70%は水で出来ているって知ってます?」 「70%…?」 先程からあちこちに飛ぶヴァルイーダの話に、振り落とされないようについていくのが精一杯だ。 「そう。70%です」 そう言ってヴァルイーダは月明かりに透かした己の腕を、スゥっと撫で上げる。 「海の水でさえ月の引力には逆らえないんですから…ましてや、人間が逆らえるわけが、無い」 怪談を聞いているようにぞくりと背筋が粟立った。カーテンを閉めたい衝動と必死に戦う。 「例えば――気がふれてしまったり。その身体をヒトとは全く異なる姿へと変貌させてしまったり」 「………………」 「或いは一人の少年の性を――少女に変えてしまったり」 「本当の…話なの、か?」 喉が緊張に酷く渇いている。問い掛ける声がみっともなく掠れていた。 「まぁ、学会などで正式に発表されたわけではないので――私もこの目で見るまでは、正直信じてませんでしたが」 「あいつが…女に?」 「といっても、完全に女の子になるわけじゃないそうですよ。――月が満ちてある程度欠けるまでの…一週間くらいでしょうか?それまでの間、元に戻れなくなるだけなんだそうです」 「何でお前は…それを知った」 「私の独房は、彼の隣ですからね。…数日前、彼がシャワーも浴びに行かないで独房の中で途方に暮れていたので…事情を聞いた所、隣の私にだけ、教えてくれたんです。…『絶対に誰にも言わない』って約束して」 「…どうしてそれを俺に喋る」 まだ話すとしてもエバ辺りが相手なら分かる。 だがどう考えても奴らの味方になりえない俺に秘密を打ち明けるその意図が、どうしても掴めなかった。 訝しげな俺にヴァルイーダは笑む。 「私は貴方に、ガイズを守って欲しいんです」 耳を疑うとはこの事だと、思った。 「な…何だと…?」 「今のガイズは女の子なんですよ?襲われたらきっとひとたまりも無いし、悪くすれば――妊娠、してしまうかも」 「………………」 「そしたらきっと大騒ぎになりますよねぇ…男しか居ない筈の刑務所に女の子が!って言うことで管理不行き届きで責められたりして」 「………………」 「でも普段は男の子である以上、今更ガイズを別の刑務所に移すわけにも行かないですし…」 「………………」 「だからガイズを守って下さい、デューラ。打ち明けられた以上、私も努力はしています。…でも、所詮は一囚人。彼を守るために動くのにも、限度があるんです」 「俺が…そう言われて『はい、分かりました』と答えるとでも思ったのか…?」 「思ってますよ」 イヤに自身満々の口調だ。 「どうして…そう思う?」 「だって貴方…女の子が苛められるの見るの、イヤでしょう?」 「うっ……!」 「母上に言われた言葉が破れなくって、未だに貴方、女の子だけには優しいでしょう?」 「うう……」 言葉を詰まらせた俺に、勝ち誇ったようにヴァルイーダは笑う。 「だからガイズのことも…宜しくお願いしますね、デューラv」 イヤに綺麗な笑みで宣告するヴァルイーダに、こいつは悪魔憑きというより悪魔そのものだと…思った。 (しかし…あの時は話術につい飲まれてしまったが…本当にあの話は事実なのか…?) 一夜明けて。明るい日差しの中で改めて考えてみると、やはりあの話は疑わしい。 月明かりと巧みなヴァルイーダの話し口に騙されただけなのではないかと思う。 (だが…もし本当だったら…) 堂堂巡りを始めてしまいそうな思考を振り切って、いつもの看守服に身を包むと俺は仕事に出かけた。 といっても昨日の今日で、ついガイズを目で追ってしまうのはいかんともし難い。 胸や腰など目に見える部位から、声、一挙手一投足にまで注意を払ってしまう。 そうしている内に、ある違和感に気付いた。今日のガイズは人と、妙に距離を取っているのだ。 懐いていたと思っていたエバが相手でも、近づいてくると身体が強張っている。 あまつさえあのイオにすら、警戒した態度を崩さなかった。 顕著だったのは、ジョゼが現われた時だ。 「あっ!!テメェ!人の顔見た途端に逃げ出すってのはどういう事だ!!」 「わ、悪い!!」 脱兎の如く、とはあの事だろう。 全力疾走で走り去ったガイズを、一同は呆然と見送った。 「なぁ…最近アイツ、何かおかしくねぇ?」 「んー…悪いもんでも食ったかねぇ?」 膨れるジョゼに、エバが飄々と返す。思わずその会話に、耳を澄ませた。 「あ…でもガイズ…今ホントに体調がちょっと…悪い、みたい…」 「どういうことだよ、イオ?」 分からない、と言いたげなジョゼに対し、エバは思い当たる節があったのかああ、と呟く。 「そう言えばあいつ…ここ数日シャワー浴びに来ないなぁ」 「うん…何だかね…体調が優れないから、治るまでタオルで拭くだけにしときます…って」 「何だよ。あいつ、生理か何かかぁ?」 意地悪くジョゼが笑う。 品の悪い冗談に、だが盗み聞きしていた俺の心臓がどくりと跳ねた。 男に対して、異常な警戒を見せるガイズ。 数日前から、謎の理由でシャワーを浴びに来ないガイズ。 (月が満ちてからある程度欠けるまでの…一週間、くらいでしょうか…) 時期だって、丁度合う。 「まさか…何を考えているんだ、俺は…馬鹿馬鹿しい…」 エバ達に背を向けて一人そう呟くが、胸に芽生えた疑念は中々消せそうも無かった。 何だかんだで非常に疲れた一日が終わる。 普段なら就寝点呼前の自由時間に獲物を探してフラつくのだが――今日に限ってはガイズと鉢合わせになるのが嫌で、早々に帰り支度を始めた。 あんなガキのせいで自分の行動が制限されるのは非常に腹立たしかったが、もしアイツと鉢合わせてしまったらどんな反応をしていいか、分からなかったから。 だが。 会いたくない時に限って…という世の理は、残念ながらこの俺にも、適用されるらしい。 …普段はわざわざこちらから出向いてやらないと、会えないくせに。 「嫌だ!やめろって!」 人気の無い廊下に、切羽詰った声が響く。やや高めのその声は、確かに聞き覚えのあるものだった。 (ガイズ…?) 寄りによって何でこんな時に…と頭が痛くなる。 しかも奴が一体如何いう目にあっているのか、姿を確認しなくても声だけで十分すぎるほど十分に予想がついた。 「大人しくしろ!」 「おい、口押さえないとヤバイだろ」 「やだ…!やめ…っ!」 「痛……っ!このガキ!」 僅かな苦鳴の後に、バン、と何かを叩きつけるような音がする。 「……っ!くぅ……」 苦しげな呻き声。廊下の角から確認すれば、性質の良くない囚人どもに囲まれているガイズが見える。 最近他の奴らとつるむ事無く、一人でいる機会が多かったから――それで目を付けられたのだろう。 壁に叩きつけられて咽るガイズを、男たちは悠々と押さえつける。 「ひっ…!止めろ…!」 その手が服に掛けられて、ガイズの喉から引き攣った悲鳴が漏れた。 咄嗟にガイズはシャツの襟元を掻き寄せて、胸を庇う。 それは『男』にしては、どこか奇妙な行動だった。 案の定、男たちはそんなガイズの行動に目ざとく気付き、指を指して嘲う。 「見ろよ、コイツ、胸なんか庇ってやがる!」 「笑えるよなぁ?ホントはお前、『女』なんじゃねぇの?」 「じゃあ、確かめてやろうぜ?」 「おい、ホラ手ぇ離せ。…何隠してやがんだぁ?」 「い……や……!」 滅茶苦茶に暴れながらも、ガイズは胸元を押さえる左手を外そうとしない。 だが右手一本だけでは、抵抗にも限界があった。 捕えられる腕。無防備になったシャツの中に手を無遠慮に差し入れられ――涙を含んだ瞳が大きく見開かれた。 「――何をしている!」 思わず荒げてしまった自分の声に、自分で驚く。 だがもっと驚いたのは囚人どものようだった。 「げ……っ!」 「だから口押さえとけって言って…!」 口々に言うと、顔面蒼白で慌ててガイズから離れる。 「…どうやら懲罰房が希望のようだなァ…貴様ら」 いたぶるような口調で責めると、面白いほど動揺してぶんぶんと首を振る。 「め、滅相も有りません!」 「じゃあとっとと失せろ!」 「は、はいぃっ!!」 怒鳴りつければ打たれたようにびく、と身体を震わせて男たちは走り去っていく。 後には、呆然と床にへたり込んだままのガイズと、不機嫌に腕を組んで立っている俺だけが、残った。 走り去る後姿を確認して、今度はガイズを振り返る。未だ胸をしっかりと押さえたままで、ガイズは怯えたように俺を見上げた。 (ちっ…『一難去って又一難』って顔、しやがって…) 「あ……」 舌打ちに気付いたのかガイズが敏感に肩を震わせる。いつもの気丈さが嘘のような姿に、ヴァルイーダの声が頭を過ぎった。 (ガイズは、女の子なんです) その声を慌てて振り払う。そんなものは嘘だ。男が女の身体に変貌するなんて――ある筈が、無い。 (それじゃあ) だが自分の中の声は、この一日で気付いた不審点を次々と挙げはじめる。 (それじゃあ、どうしてコイツは他の囚人を過剰に避ける…?) (どうしてシャワーを浴びに来ない?) (どうして抵抗が弱くなると分かっていて――そこまで、胸を庇う?) 深みに嵌っていく思考の一角で、何かが囁いた。 (今見てみれば、分かることじゃないか…?) 簡単なことだ、いつものようにその身体を押さえつけて、シャツを引き剥いで。それだけで、ヴァルイーダの言葉が嘘か否か、分かる。 だけど。 (女の子は苛めちゃ駄目よ、デューラ!) シャツに伸ばされた手が、ぴたりと止まった。もしこの服の下が本当に、女の身体だったら? 「…………………」 じっと息を詰めてこちらの様子を伺うガイズ。大きな金目の表面が湖水のような涙をたたえていて、少しのショックでも零れ落ちそうだ。 ガイズの――男の涙なら、もっと泣かせてやりたいという欲望しか生まないのに。それが女のものだと思うだけでザラついたような嫌な罪悪感が過ぎる。 「…………………」 「え……あ、うわっ!」 シャツに伸ばした手を代わりに腕に伸ばし、無言でぐいっと引き上げて立たせた。 ガイズが、不審そうに俺を見返す。 「あ…あの…」 「さっさと立て。いつまでもここに座ってる気か?」 「は、はい!」 慌てたように返事するガイズを引き摺るように俺は歩き出す。引き摺られているガイズは、俺の意図を探ろうとするように怪訝そうな、そして僅かに怯えた視線でこちらをじっと見据えていた。 早足で歩いたせいか、独房の近くまではすぐに辿り着く。 が、己の独房が近づくに連れてガイズの足の進みがどんどん遅くなっていくのに気付いた。 未だ警戒したように胸を押さえて、時折こちらを伺うようにじっと見上げる。 (そういえば前、コイツの独房で襲ったことも、あったか…) これから行為を強要されるとでも思ったのか、のろのろとでも進んでいた足は、独房の少し手前でとうとう止まってしまった。 俯くガイズを振り返る。ふっと溜息をつき、腕を放してやると代わりにその肩をぽん、と前に押した。 それほど強い力ではなかったが、不意をつかれたのかガイズは軽くよろめく。 そのまま驚いたように、こちらを振り返った。 「何…?」 「行け」 「え…」 「…ここからなら一人で行けるだろう。もうヴァルイーダも帰ってる筈だ」 単純に送り届けられただけ、というのが信じられないのだろう。呆然とこちらを見返す眼差しが自分のらしくない行動をより一層感じさせて、些か不快だった。 (コイツが、『女』かもしれないから。だから――) それだけだ。それ以外に、理由なんて無い。 「ほらさっさと行け。点呼に間に合わんぞ」 吐き捨てるように言い捨てて、ガイズに背を向けて歩き出す。 「…はい」 背中に、まだ信じられないというような調子のガイズの返事が小さく届いた。 そして、さらに小さな声でもう一言。 「…ありがとう…ございます…」 靴音に紛れてしまいそうなそれは、でも確かに俺の耳まで届いた。 どんな顔で言っているのか。きっと困惑した表情で、でも『礼は言わなきゃ』という思いから仕方なく言っているのだろう。 直接振り返ってその顔を見てやりたかったけれど、振り返れなかった。 何故か妙に頬が緩んでしまって、振り返れなかった。 《種明かし》 漸く独房に戻ってきたガイズに、ヴァルイーダは目を落としていた本から顔を上げ、優しく声を掛ける。 「ガイズ。お帰りなさい。…ちょっと遅かったから、心配しましたよ」 「…ちょっとね」 不機嫌そうに顔を背けるガイズを、そっとヴァルイーダは抱き締める。 「ホントに…どうしたんですか?ガイズ」 「…さっき廊下で、襲われた」 ぶすっとした表情で答えるガイズに、ヴァルイーダはスッと目を細めた。 「そう…ですか…」 「いや、勿論未遂だからな!」 「ああ。…良かった」 そういってヴァルイーダは冷たい表情を消し、淡く微笑む。 その笑みにとく、と心拍数の上がったガイズは、誤魔化すように話題を変えた。 「…それよりさぁ…俺、いつまでこうしてればいいんだろ…」 そう言って、胸元を掻き合わせていた手を外す。 「いい加減、絶対おかしいと思ってる奴、いるって」 「じゃあ、話しちゃいますか?」 「出来るわけないだろ!!」 途端に噛み付くガイズが可愛らしくて、ヴァルイーダはくすくすと肩を振るわせる。 「笑うなよー…!大体、ヴァルイーダのせいだろ?」 「そうですね…すみません」 「…ここんとこシャワーも浴びられないし、さ」 「その代わり、私がこうやって毎日身体拭いてあげているでしょう?」 さ、服脱いで。とタオルを片手に告げるヴァルイーダに、大人しくガイズは従う。 シャツの下から現われた身体は、起伏の無い少年の肢体だった。 ただ、その胸元には幾つもの赤い痣が点在している。 「まだ消えそうもねぇなぁ…」 「そうですね」 「もー!好き勝手に付けやがって、いつになったら消えるわけ!?コレ!」 「すみません」 殊勝な振りをして謝るヴァルイーダは、だがどこか満足そうだ。 「実はぜーんぜん反省してないだろ、ヴァルイーダ」 「だって合意の上、でしたし」 「こーんなに長いこと跡が残るなんて、聞いてねぇよ!」 うがぁっとガイズは拳を振り上げる。 「シャワーは勿論浴びられないし、誰かに見られたら絶対『俺にもヤらせろ』とか言ってくるに決まってるし!だから人に見られないようにして、胸ンとこもずっと注意してなきゃいけないし…!」 もー、いつまでこんなことしてなきゃいけないんだよ…とガイズはぼやいた。 「だからいっそ、全部話してしまいましょうってば」 「やだ!」 「もう他の人間に迫られることも無くなりますよ?きっと」 「でもやだ!…だって…だって…恥ずか…しい…から」 耳まで赤くして俯くガイズが可愛くて、ヴァルイーダはきゅっとその身体を抱き締める。 「残念ですね。じゃあ、今は秘密のままで」 こく、と頷く小さな恋人の耳元に、ヴァルイーダは唇を寄せる。 「あ…!駄目だってば、ヴァルイーダ!やっと跡消えかけてきたのに…!」 小さく抵抗するガイズを宥めるように、ヴァルイーダは口吻ける。 「大丈夫ですよ。きっとデューラが守ってくれますv」 「へ?デューラが…?何で?」 怪訝そうに首を傾げたガイズは、だが、あ、と小さく声を上げる。 「そう言えば…さっき襲われそうになった時…デューラが来たんだ」 「へぇ…」 「でさ!おかしいんだ!アイツ今日に限って俺に何にも手出しし様としなかったんだぜ!?…それどころか襲ってきた奴らを追っ払って…独房の近くまで、送ってくれた。」 「…成る程」 くす、と笑うヴァルイーダは何かを知っているようだ。気になってガイズはその髪をくいくいと引っ張る。 「なーヴァルイーダ…何か、知ってるのか…?」 「内緒、ですv」 そうしてこの刑務所の最高権力者を、口先一つでまんまと可愛い恋人の番犬に仕立て上げ。 ヴァルイーダは満足そうに、口吻けを一つガイズに贈った。 END |
タネはヴァルガイ。 意外にタフでイイ性格の、ウチのヴァルイーダさん。 あーあ…主任…騙されてる…(笑) |
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