あなたのことを わすれたくないから

 かたちあるものを どうかひとつだけ








 メモリアル







 背後からついて来る足音は酷くゆっくりとしていて、ジャーヴィーはイライラと振り返った。
「愚図が!さっさとしろ!」
 怒鳴ると、相手はのろのろと首を上げ、上目遣いでジャーヴィーを見上げる。
 金色の髪に小柄な身体。ちょっと怒鳴れば何時だってびくびくと身を竦ませたものなのに、今日の彼はどこかぼんやりとしていて、怯えた様子も見せなかった。

(まあ、今日は晴れて釈放の身、だからな)

 後数刻でこの酷く気弱だった囚人も、もう囚人では無くなるから。
 看守に対してももう、怯えることも無いのかも知れないなとジャーヴィーは解釈した。

(しかし…)

 出所だ、出所だと闇雲に浮かれられてもそれなりに腹が立つだろうが、今回の囚人は…どこか様子がおかしかった。
 どこか沈んでいるような気がする。出所が決まった囚人は(例えこれからの先行きに不安を抱いていたとしても)、やはり自由の身になれる嬉しさがにじみ出るものだというのに。
 後ろの彼は、ジャーヴィーの後を足を引き摺るようにしてついて来る。時折聞こえるはあ、という溜息に、

(折角自由の身になれるってのに、何でンな沈んでんだ!)

 と怒りすら感じた。



 刑務所の出口までは、それほど長くは掛からない。
「ほら。忘れたものはねぇな?」
 荷物を渡してやると、大きな目が何故か縋るように此方を見上げてきた。
 こういう時にシルヴェス辺りなら、気の利いた一言を言って別れのそれに変えるんだろうが――生憎とジャーヴィーにはそういった言葉を考えつくことが出来ない。
「…それじゃあ、達者でな」
 だから、それだけをそっけなく告げて、踵を返した。その背中に切羽詰ったような声が掛かる。
「あの―――」
「何だ」
 これから昼休憩だというのに。呼び止められて不機嫌にジャーヴィーは相手を睨みつける。
 その強暴な視線に気おされたように、囚人――金の髪の少年は、俯いた。
「…………」
 そのままもじもじと躊躇う様に、やってられるか、とジャーヴィーは今度こそ中に入ろうと背を向ける。

「ま…待ってください!看守さん!――ジャーヴィーさん!」
「あぁ?」
 呼び止められたことに対する不快、というよりも、この囚人が自分の名前を知っていたという驚きにジャーヴィーは思わず足を止め、相手を振り返ってしまった。
「お前…何で、俺の名前…」
「あ…あの、よく…他の看守の方に…呼ばれてたから…それで…」
 それだけ口にして、また少年は俯く。細い肩がかすかに震えていた。
 それを目の当たりにして、ジャーヴィーは少しだけ困ったように眉を下げる。
「それで…?俺に何の用があって呼び止めたんだ?」
 頭を掻きつつ問い掛けた口調には、知らずほんの少しだけ、優しさが含まれていた。
「一つだけ…一つだけ、貴方にお願いしたい事があるんです、ジャーヴィーさん」
「『お願い』…?」
 訝しげに返すジャーヴィーに、胸の前で手を組んで、上気した頬で少年は言った。




「貴方の看守服の第二ボタンを僕に下さい!」




「…………………………は?」










「あ、遅かったな」
 部屋に入れば、休憩中のシルヴェスがサンドイッチを口に運んでいるところだった。椅子を動かし、隣に座るようにと入ってきたジャーヴィーを促す。
「少し時間がかかったんじゃないのか?今日出所の囚人を送るだけだったんだろう?」
「シルヴェス…」
「…?ジャーヴィー?」
 途方に暮れた表情で自分の腕を掴んできた同僚に、シルヴェスはきょとん、と首を傾げてその名を呼ぶ。
「お前も…お前もこういう事、あったのか…?」
「…何があったんだ?一体…」

 お兄さんに話してごらんなさい、と優しく促されて、ジャーヴィーはとつとつと先程の少年とのやり取りを語りだした。

(笑われるだろうか…)

 恐る恐る、という表情でシルヴェスの反応をジャーヴィーは見守る。
 が、最後まで聞き終わったシルヴェスは、あっさりと返した。
「何だ。ジャーヴィーは、第二ボタンねだられるの初めてだったのか」

(…ちょっと待て。何でそんな『当然のこと』のように語るんだよ、シルヴェス…!)

 自分が知らないだけで、それほどにメジャーだったのだろうか。この『出所前に看守にボタンをねだる』行為は。

「よくある事だ。特にシルヴェスは、モテるからな」
 唐突に掛けられた意地悪い声に、シルヴェスの頬が紅潮した。非難するように、声の主を睨みつける。
「主任…何言ってるんですか…!」
「だってそうだろう?出所の時の見送りは絶対お前に…!って指名掛けてくる奴も、多いぞ?」
 そう言って、休憩にやってきたヒマな主任は、片手に弁当を持ったままでニヤリと笑う。
「冗談言わないで下さい!」
「よく言うなぁ?聞け、ジャーヴィー。第二ボタンをねだるだけなんて可愛いもんだぞ。シルヴェスが今まで出所する囚人の奴らにねだられてきたものに比べればな…?」
 デューラから意味ありげな視線を向けられて、一層シルヴェスが赤くなる。
 その様を見ていて、訳も無くジャーヴィーはムカムカした。

「こいつ…囚人どもに何ねだられたって言うんですか?主任」
「そうだなぁ…ボタンに始まり、ベルト、サスペンダー、手袋、制帽などの服飾品ってトコか。怖いところでは髪の毛とかを欲しがる奴も居たな。…全く、何に使うんだか。あぁ、あと警棒を希望する奴も結構多かったな。それが駄目だと断られて、『ならば、出所前の最後の思い出に、その警棒で俺を殴ってください…!』とか迫った奴も居たし」
「何でそんなに細かく知ってんですか――――――っ!!」
「部下のことを把握しておくのは、上司の努めだろう?」
 がなるシルヴェスに、飄々とデューラは返す。

(…ウソだ。いっつも仕事なんかしやしないくせに…!絶対『面白そう』だから観察してただけだ…!)

 しかしそんなことがあったなんて、知らなかった…とジャーヴィーは唇を噛む。
 ちら、と傍らで真赤になって怒っているシルヴェスを見て、『やっぱりコイツは俺が傍についていてやらねぇと…!』と想いを新にする。

 対して、その隣で真赤になっているシルヴェスは、必死に話題を逸らそうと今度はジャーヴィーに話を振った。
「…ところで、ジャーヴィー。その子はどうしてお前にボタンをねだる気に…?」
 理由とか何か言ったんだろう?と尋ねれば、新しい話題につられてデューラも興味津々で近づいてくる。
「そうだ。お前の方はどうだったんだ?告白でも、されたか?」
 楽しくて仕方ない、という表情でせっついてくる二人に、決まり悪げな顔をしてジャーヴィーはそっぽを向く。
「告白とか!そういうんじゃ、ないです!ただ、弱っちい奴で、リンチされてた時に俺がたまたま止めに入った事があったって…それだけで」

(そう、本当に『それだけか?』って言いたくなるような理由だった)






 別にその少年を助けようとしたわけじゃない。たまたまイラついていて、殴る相手が欲しかった。それだけだったかもしれない。
 そもそも、リンチを止めに入った時のことなんて忘れていたし、彼の名前すら、自分は知らなかった。

『それでも、嬉しかったんです』

 人に勝手に幻想を見るんじゃない。俺は、お前だから助けたわけじゃない。
 そう言ってたけれど、彼は笑って言った。『嬉しかった』と。

『気まぐれでも何でも。助けてもらえて僕は嬉しかった。それからずっと…貴方を見ていました。ココロを寄せる相手が、見詰めていられる対象としての貴方がそこに居てくれたから――だから、僕は今日までここでやってこられたんです』

 そういえば、と思う。最初の頃は随分華奢で、苛められてばかりいるところを見たような気がしていたのに、何時しかそれも殆ど見なくなった。
 まさか自分がその理由だったなんて、思いもしなかったけれど。

『だから出所できる今日が、嬉しいけれど、ちょっとだけ――淋しい』
『馬鹿なことを言うな』
 憮然として返すジャーヴィーに、少しだけ淋しげに少年は笑った。
『分かってます。僕は此処を出て、仕事を持って、まっとうな生活をして、そして――二度と此処に来ない。二度と、貴方には会わない。それこそが、貴方の望む事なんですもんね…』

 だから、と少年は俯いていた顔を上げた、気弱な瞳が浮かべた一瞬の強い光に、思わずたじろぐ。

『我慢します。貴方に会いたいなんて、此処を出たら二度と言わない。でも――』


 どうか一つだけでいいんです。かたちを持った、思い出を下さい。


『僕は弱いから、きっとこれから色々辛くなると思う。その時、縋る物が一つだけ、欲しいんです。そしてそれを僕に与えられるのは――貴方しか、居ないんです』

 お願いします。そう言って少年は深く頭を下げる。

 その華奢なうなじを見詰めながら、ジャーヴィーの指がゆるゆると己のボタンにかかった。
 滑らかな感触を伝えるそれは、だけど彼にとってはただの貝ボタンに過ぎない。

(こんなボタン一個にそんな力、ねぇぞ…?)

 それでも。










「いい話だな…」
 しみじみとシルヴェスに言われて、決まり悪げにジャーヴィーはそっぽを向いた。
「それで?お前、結局そいつにボタンやったのか?」
 デューラに問い掛けられて、膨れたジャーヴィーはそっぽを向いたまま、そんなわけないじゃないですか、と答える。
「ほう…?そうか…?」
「本当にそうなのか?」
 デューラとシルヴェスの二人に、責められて、思わずジャーヴィーは目を逸らした。
「あ、当たり前でしょう…?何で俺が囚人なんかに…」
「ツメが甘いな、ジャーヴィー」

 腕を組んで、勝ち誇った表情でデューラは部下の胸元を指差す。

「ボタンを縫い付けてる糸の色が、2番目のだけ違ってるぞ?」
「あ…!」
「そもそも、ボタンをつける位置がずれてるから…ジャケットの前、微妙におかしいぞ?」
「……しまっ…!」

 シルヴェスにまで指摘されて、慌ててジャーヴィーは胸元を確認する。
 その様子に、二人は同時に噴出した。

「だーかーら、今日は休憩に戻ってくるの、遅かったんだな、ジャーヴィー」
 とデューラがからかえば、
「やっぱり実は優しいよな、お前」
 とニコニコしながらシルヴェスがとどめを刺す。
 代わる代わる言われ、首まで赤くなったジャーヴィーは、復讐、とばかりに今度は己の上司に話を振った。

「そ、そういう主任こそどうなんですか!?主任は、ボタンだの何だのとねだられた事、無いんですか!?」

 勢いでつい口走ってしまった言葉に、ジャーヴィーがマズイ…!と息を飲む。
 だが。

「ああ。あるぞ?」

 かるーく返されて、ジャーヴィーとシルヴェスは共に、絶句した。

(しゅ……趣味悪ぃ……!ソイツ…!)

 口に出さずとも、お互い考えていることは何となーく同じだったらしい。
 思わず、無言で顔を見合わせてしまう。
 それに気付かずデューラは、意気揚揚と話し始めた。

「まあこの俺様の美貌に目が眩む奴も多いらしくてな…」
(…いや、眩みすぎだろ…ソレ…)
 ジャーヴィーが心の中で突っ込む。
 付き合いのいいシルヴェスは、そうですねー…、と話を合わせた。
「あ、でも」
 その時、何に気付いたのかシルヴェスがふと疑問を口にする。

「主任、結局誰にもボタンとかあげた事、無いですよね…?」

 デューラのジャケットのボタンは、どれも綺麗に留まっていて、付け直した形跡すら見受けられない。

「ああ。…これは、な…」

 己の第二ボタンをそっと指で撫で、デューラはふと遠い目をした。
 その瞬間、二人は気付く。

(139番だ…)

(絶対、139番だ……!)











 出所の日、見送りに来た看守が彼ではなくて、ガイズは小さく溜息をついた。
 酷い事ばっかりされていたけど、これでお別れかと思うと――何か、胸に込み上げてくるものがある。

「それじゃあ、お互い二度と会わないことを祈ってるから」

 そう言って看守は敬礼した。そしてそのまま、背を向ける。
 これでおしまい。 これで、お別れ。

「あ……」

 閉まりかけた刑務所の扉を、咄嗟に引き止めるようにガイズは駆け寄ってしまった。
 忘れ物があるのだ。一つだけ、忘れ物が。

「待っ…!」

 扉に向かって手を伸ばした時、その扉が再びガイズの前で開かれた。さらりと揺れる、金色。

「何だ…お前、もう一度戻ってくる気か…?」
「デューラ…!」

 皮肉げな口調はいつもの彼の物なのに。息が、荒い。汗を、かいている。

(走ってきて…くれたのか…?)

「デューラ…」

 震える指が、そっと看守服の上着に触れる。そのまま、堪らず縋りついた。

「デューラ……デューラっ!」
「ガイズ…」
 デューラの腕が、ガイズの背に回され――そしてその身体を、引き剥がした。
「デューラ…俺…」
 震えるガイズの唇が、何かを告げようと開かれる。その唇を、デューラは指先でそっと押さえた。

 分かっている、というように。

「あ……」
 行き場を失った言葉が、ガイズの胸の中でさざめく。潤んだ琥珀の瞳に目を細めて――デューラはジャケットのボタンに、手をかけた。

 色々な人間に求められて、それでも大切に大切に取っておいたそのボタン。
 上から二番目の、ボタン。
 ずっと、こうしようと思っていたから。

 惜しげも無くそれを引きちぎる。そしてそれをガイズの手に握らせた。
「これ…!」
「やるわけじゃないぞ。貸すだけ、だ」
「え……?」
 告げられた言葉に、ガイズが目を見開く。

「今は貸しておく。いずれ、取りに行くからな。――必ず」

 それまで大切にしろよ、そう言ってデューラはそのまま背を向けた。
「デューラ…俺…」
 振り返らない背中に、ガイズは一心に叫ぶ。
「待ってる!俺絶対、待ってるから!…デューラ…っ!」

 約束、だ。


 そうして、二人を分かつように扉は閉められ。
 ガイズの手の中には――黒く艶やかなボタンが一つだけ、残された。

 未来の約束の、印として。

































「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」

(何だよ、今の一昔前のメロドラマ的妄想はぁぁっ!!)
 ありえない想像に精神を汚染され、頭を抱えてジャーヴィーはのたうつ。
 傍らのシルヴェスはというと、ちょっと遠い世界まで魂を飛ばしていた。

 恐らくこの妄想の発信源は…傍らで一人低く含み笑いをしている主任だろう。

「完璧だ…!」
(どこがだー!!)

 部下二人は、主任の呟きに同時に突っ込みを入れる。

「…と、いうことでだ。このボタンだけは来る日の為に取って置いている、ということだな」

 満足げに語る主任は、再び『ガイズ出所〜約束の木(どこだよ)の下でまた会おう〜』妄想に浸り始める。


 その姿を眺めながら、漸く我に帰った部下二人は、こそこそと語り合った。


「…なあ…言っておいた方がいいんじゃないか?」
「…だが…言えるか…!」




 忘れてるかも知れないけど、主任。

 139番は、『終身刑』だから。

 そんなろまんちっく(死)シチュエーションがやってくる日は、きっと無いから…!





「…それに」

 万が一、ガイズが何らかの方法で出所する時を迎えるとする。
 その時、彼があの極悪非道サディスト看守主任の第二ボタンを求める…などということがあるだろうか。

 いや、ない(反語)。




 …ということで結論は。

「あのさぁ…結局あのガキがココ出ようが、出るまいが」
「主任の第二ボタンは…100%確実に」



 無駄に、なるな。







 主任の胸元で、決して来ない出番を待ちつづける黒いボタンを眺め。

 苦労性の部下二人は、はあ、と溜息をついた。

















END

















主任の妄想シーンのBGMは、是非とも森田童子の「ぼくたちの失敗」でお願いします(何となく)
は〜るのぉ〜こもれびの〜なかで〜って奴。

珍しく、ガイズが出ない(アレは主任の妄想なんで、偽者)SS。
看守トリオの位置付けを、楽しく書いてみました。
密かにオリキャラ金髪少年×ジャーヴィーの比重が大きいけれど気にしない。

鳥呼設定では、看守トリオの中でシルヴェスが一番年上です。主任はその次。
ジャーヴィーは一番年下、という設定です。立場が一番弱いのも、ジャーヴィー。

弟(主任とジャーヴィー)思いの長男(シルヴェス)。
兄さん(シルヴェスと主任)思いの三男(ジャーヴィー)
そして。

自分が一番次男(主任)ですから。

…看守三兄弟。



























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