2.二人の出征兵







作業終了の鐘が鳴るとほぼ同時に、出来上がった靴を投げ出して大きく伸びをする。
「おわ…ったぁ!」
 凝り固まった両肩をぐるぐる回すとぽきぽきとヘンな音がして、思わず顔を顰めた。針を指に刺す回数は最初の頃に比べたら随分減ったけれど、その分気を張っている所為かやたらと肩が凝る。
「…随分疲れてるみたいだね、ガイズ」
 隣で几帳面に道具を片付けつつ、くす、とイオが笑った。
「まーなー…。でもいっつも思うけど、イオはよくあんな細かい事やってて疲れないよなぁ…」
 しかも出来上がった靴の中でも、イオの靴の出来は段違いに素晴らしい。
 『凄いよな、イオは』と言うと、イオははにかんだように笑った。
「ん…ありがと」
 その笑みは前に良く見せた人を伺うようなそれとは大きく違っていて、見るとほんのちょっと嬉しくなる。
 でもイオがこんな笑みを頻繁に見せるようになったのも、こんな風に素直に人の褒め言葉を受け入れるようになったのも、つい最近のことだ。

「何かイオ…ちょっと顔つきも変ったよな、最近」
「そう…?」
 自分じゃ自覚が無いのか、イオはきょとんと首を傾げる。
「んー。何か…ちょっとだけ自信がついてきたように見えると言うか…」
「あ」
 『そんなことないよ…!』といつものように否定されるかと思ったのに。
 俺の言葉に、イオは何か思い当たる事でもあったのか、ぱっと目を見開いた。
「え!?何!?何か、あったのか?」
「ん…でも、大したことじゃないよ?」
「聞きたい聞きたい!教えてくれよ!」
 俺がせっつくと、イオは『じゃあこっちに来て』、と俺を廊下の隅まで手招きした。
「あのね…コレ」
 イオがポケットから取り出したのは、よく刑務所の中で賭けの商品になっているフィンガーチョコレートだ。銀紙に包まれたそれは、決して珍しい種類のものではない。
「…?エバから、貰ったのか?」
 訝しげに問い掛けると、イオはううん、とかぶりを振った。
「じゃあ、誰に貰っ…」
「貰ったんじゃないよ」
「…?どういう…」
 貰ったんじゃない、じゃあ、このチョコレートの出所は?
「自分で、取ったんだ」
「取った!?」
 目を丸くする俺に、イオはこく、と頷いた。
「取ったって…お前、まさか賭けに参加したのか!?」
「そう。初めてだったんだけど…きっと運が良かったんだね。一回で勝てたよ」
「信じられねぇ…」
 よりによってあのイオが…!賭けをするような連中に自分から声をかけるのだって、相当な勇気が要っただろうに…
 あっけにとられる俺に悪戯っぽく笑いかけると、イオはもう一度爆弾を落とした。
「…それでね。僕、これをガイズに貰って欲しいんだけど…」
「え!?俺!?」
「うん」
「何で」
「何で…って…」
 と、ここでイオは唐突に、いつものおどおどしたイオに戻ってしまった。
「えと…僕がこういう思い切ったこと出来るようになったのも…その…ガイズが…ガイズのお陰だから…だから…。あ、ヘンな意味は無いよ!無いから…えと、何言ってんだろ…」
「…だ、大丈夫か?落ち着けよ、イオ」
 思わず肩を揺さぶってしまうほど、イオの目線はいつもより泳いでいる。そして白い頬は熟れたように真っ赤になっていた。
「イオ。落ち着いて深呼吸、深呼吸。ホラ。ひっ、ひっ、ふー。って奴」
 俺にも動揺が移ったんだろうか…何かちょっと違った気がする。
「い、いいから!とにかくコレ貰って!ガイズ!!」
 追求を断ち切るようにイオが俺の胸にぎゅうっとチョコレートを押し付けてきた。
 困惑しつつも、イオの迫力に押されて素直に受け取る。
「えと…何だかよくわからないけれど、ありがと…」
(大事なチョコだろうに、俺が貰ってもいいのかな…)
 釈然としない思いだったが、先ほどの動揺っぷりを思うとこれ以上イオを問い詰めるのも可哀相だし。首を捻りつつも俺は、手の中に収まったチョコレートを摘み上げた。

「それじゃ…いただきま…」
 言いかけた矢先。
 がし。と何者かに背後から手首を掴みとめられる。
 イオの表情が、強張った。
「イオ…てめぇ、抜け駆けしやがったな…」
 唸るような低い声は、聞きなれたものだった。
「…ジョゼ?」
 左手は掴まれ、腰に腕を回され。背後から抱き込まれるような体制のままで、何とか首を捻じ曲げる。
 確かに、ジョゼだ。紛う事無く、ジョゼだ。…しかも、かなり怒っているみたいで。
「油断も隙もねぇ…!」
「あっ!」
 手の中のチョコレートが、ジョゼの手によって乱暴に取り上げられた。
「何すんだよ!返せよ、ジョゼ!」
「あぁ?そーんなにチョコが欲しいのかよ、ガキ」
「そっちだって十分ガキだろ!?それに…そのチョコレートは…!」
「何だよ?」
「イオが、初めて賭け事して、それで勝ち取ってきたモンなんだからな!だから貴重な物なんだ。返せよ!!」
「賭け事…お前が?」
 返せ返せ、と喚く俺を無視して、ジョゼは妙に真剣な眼差しでイオに向き合った。
「へぇ…お前が賭け事に手を出すなんてなぁ…そんなに欲しかったのかよ、チョコなんぞが」
 スッと色の薄い瞳が眇められる。
「…うん。欲しかったよ」
「イオ…」
 驚いた。相対するイオは、そのジョゼの射殺されそうな眼差しをまともに受け止めている。
「お前、本気なんだな…」
「…ジョゼなら、分かるよね?」
 珍しく強気なイオに、きゅ、とジョゼが唇を噛み締めた。

「…何だか分かんねぇけど、とにかくチョコレート、返せよ!」
 入り込めない会話に焦れて、ずいっと手を差し出すとジョゼがイオから目線を外してちら、とこちらを見る。
「そんなにチョコが欲しいか…?」
「ああ。欲しいよ」
「そーか。じゃ、ほれ」
 俺が答えると、ジョゼは割とあっさりと俺の手のひらにチョコレートを返した。
「あ、サンキュ…って、おい!コレさっきのと全然違うじゃねぇか!俺が返して欲しいのは、イオのチョコだって!」
 笑顔で礼を言いかけ…手に乗せられたのが、さっきのフィンガーチョコとは似ても似つかない金色のメダルチョコだと気付いて、俺は眉を吊り上げる。
「何だよ、チョコレートはチョコレートだろ?そっちの方が美味いぞ、きっと」
「そーゆーことじゃなくてぇぇっ!さっき俺が言っただろ!『イオのチョコレート』だから、意味があるんだって!」
 美味いとか不味いとか、そういう事じゃない。そう言ってるのに。

「お前、そんなにイオからのチョコレートがいいのかよ…俺からのじゃ、ダメなのかよ…」
 ぽつ、と不意にジョゼが呟いた。はっとするほど、淋しそうな声音。
「だから、さっきからそう言って…!お前こそ、さっきから嫌がらせがすぎねぇか!?わざわざ替えのチョコ用意してまで、俺やイオに嫌がらせすることないじゃねぇか!」
「嫌がらせ…?」
 のろのろとジョゼが顔を上げる。その表情を見て俺は絶句した。
(何て顔してんだよ…お前…)
 いつも憎たらしいくらい自信に溢れてるくせに、理不尽に叱られて傷ついた、子供みたいな顔。
「お前、嫌がらせだと思ったのかよ…俺のコレも…単なる嫌がらせだって…っ」
 白くなるくらいに握り締められた拳が震えている。苦い後悔が、俺の胸をじわじわ浸した。
(知ってんのに…俺)
 ジョゼは乱暴で、口が悪くて、顔を合わせればすぐに『犯らせろ』とか言う奴で。でも。
 汚い嫌がらせをするような奴じゃないと、知ってたはずなのに。

「悪い…」
 消え入りそうな声になりながらも、俺はジョゼに小さく謝った。
「やっぱ、コレ、貰うよ。…それでいいんだろ?」
「…ああ!」
 さっき泣いた烏がなんとやら、だ。途端にぱっと表情を輝かせたジョゼに、笑みが漏れる。
「じゃあ、イオのチョコ食べたら、その次に食べさせてもらうから。いいよな?」
「…………は?」
 ぴた。とジョゼの動きが止まった。
「…………え?…ダメなの…?」
 恐る恐るイオを振り返ると、イオは目を伏せてゆっくりと首を左右に振った。

「畜生…」
 低い声で、ジョゼが唸る。
「畜生ー!!喰ってやる!こんなチョコレート、俺が貪り食ってやるー!!」
「あ!この馬鹿!何やってんだ、返せっての!」
 『それこそ嫌がらせじゃねぇか!』と怒鳴る俺に、ジョゼは完全に開き直って『嫌がらせで結構ー!』としゃあしゃあと返す。
「待って!」
 その攻防戦を制したのは、イオだった。
「――ジョゼ、ガイズにそのチョコを返して」
「…生意気言うなよ、イオ…お前、誰に向かって…」
 ジョゼの恫喝にも、イオは怯まない。
「返してくれないと」
 言って、イオはひょい、と中空に投げ上げた金色の何かを、ぱしりと片手で受け止めた。きらりと好戦的に光る、黒い瞳。
「ジョゼのチョコ…僕が食べちゃうから」
「いぃ!?」
 慌ててジョゼは、俺の手のひらを開かせて探る。
「お、おい、ガイズ!お前、さっきやった俺のチョコは!?」
「あれ…?無い」
 気付けば、手の中に握っていた筈のチョコが無い。さっきの乱闘の際に、落としたんだろうか。
「ってことは…」
「そう。正真正銘、コレは本物のジョゼのチョコだよ」
 『さっき落ちてたのを拾いました』、とイオは手の中でメダルチョコを弄ぶ。
「さ、ジョゼ…早く僕のチョコを返して。さもないと…」
 ぱり。と金紙が剥がされかかるイオの据わった眼差しに『本気』を感じて、ジョゼは悲鳴を上げる。
「や、やめ…!イオ!分かった!お前のチョコは返すから、先に俺のチョコレートを返してくれ!」
「…ダメ。僕が先に返したら、その場で僕のチョコレートは食べちゃう気でしょう?ジョゼ」
「ンなこと言って…俺が先に返しても、お前俺のチョコレート返さない気だろ…」
「…………………………嫌だな。そんな事しないよ」
「ウソだ!今無茶苦茶沈黙長かったぞ、お前!!」

 イオの手にはジョゼのチョコが。ジョゼの手にはイオのチョコが。
 互いのチョコレートを人質のように掲げて、二人は一歩も譲らない。
 散歩途中で出会った仲の悪い犬同士のように噛み付き合う二人に、恐る恐る俺は声をかけた。
「…あのさ。だから俺が二人分食べればいいんじゃ…」
「「それじゃ駄目(なんだよ)!!」」
「ご…ごめんなさい…」
 ジョゼのみならず、イオにまで怒鳴られてつい素直に謝ってしまう。
 そんな俺を置き去りにして、二人の争いは過熱するばかりだった。
「いい加減…返せっての!」
「ジョゼこそ…返してよ!」
 口論で収まらなくなったのか、次第に二人とも手が出始める。
「っの野郎…!」
「痛っ!!」
 ついに業を煮やしたジョゼがイオを突き飛ばした。弾みで、イオの手からチョコが転がり落ちる。
「貰ったぁぁっ!」
「させないよ!!」
 チャンス、とばかりに飛び込むジョゼ。だが、イオも負けじとその手を妨害し、反対にジョゼの持つ自分のチョコレートの奪還を狙う。
 跳ね回るチョコレート。そして争う手と手が、ぶつかった。

「「あ」」

 ぽん、と舞い上がった金銀二つのチョコレートは陽光を受けてキラキラ輝きながら窓の向こうに落ちていく。

 …――『窓の、向こう』へ?

「あぁぁぁぁっ!俺のチョコ…!」
「あぁぁぁぁっ!僕のチョコ…!」
 ガバッと二人同時に窓枠にしがみついて手を伸ばすが、僅かに遅かった。
 伸ばした指先を掠めて、二つのチョコレートは中庭に落下していく。
「え?何?落としちゃったのか!?」
 どれどれ、とムンクの叫び状態になっている二人を押し退けて下を覗き込むと…成る程、確かに芝生の中に二つほど、キラキラ光るものが見える。
「…あーあ…あんなトコ落ちちまったら、もう取り返すのは無理だよな…」
 刑務所の敷地内とは言え、作業時間でもないのに勝手に建物の外に出たらお咎めは必至だろう。
 逃がした二つのチョコレートを思い、ああ残念、と溜息をつく。

「…いや。まだだ」
 幽鬼のようになっていたジョゼが、ゆら、と立ち上がった。
「そうだよ…むしろ此処からが本当の勝負だ…」
 据わった目のままで、イオもふらふらと立ち上がる。
「『勝負』って…ちょっと待てよ、お前ら!まさか外にあのチョコ取りにいくつもりじゃないだろうな!やめとけよ。…もし、看守に見つかりでもしたら…!」
 焦って服の裾を掴んで止めると、振り返ったジョゼが俺の左手をぎゅっと両手で握りこんできた。

「心配してくれてんのかよ、ガイズ。…へっ、可愛いとこあるじゃねぇか」
「心配っていうかさー…『オイオイ何馬鹿やろうとしてるんだ、お前』って言うかさー…」
「だけど安心しろ、ガイズ。俺は必ず生きて戻る。…お前の、元にな」
「…出征兵かよ、お前は」
「そしたら『嬉しい…!』っつって俺の胸に飛び込んできてくれるよな?」
「……………………」
 もはや、何も言う事がない。
 もーどーにでもなってちょうだい、な気分でジョゼに手を握られていると、負けじとイオが逆の手を握り締めてきた。
「待っててね、ガイズ。僕、今から命に代えてもあのチョコレートを取り戻しに行くよ…!」
「…いや、別に命かけなくてもいいって…」
「だからガイズ…!僕が生きて帰ってきたら、改めてあのチョコレートを受け取ってね…!」
「だから命かけなくてもいいって…聞いてないな、お前ら…」

 そして『此処で待っててね、ガイズ!絶対だよ!』というイオの懇願と、『此処で待ってろよ、ガイズ!絶対だからな!』というジョゼの脅迫とに縛り付けられて身動きの取れなくなった俺は、大人しく二人の出征兵を『いってらっしゃーい…』と見送る。


「…って、俺どのくらいここで待ってればいいんだろ…」
 二人の後姿が消えた頃、ふっと俺は呟いた。















               







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