3.笑顔の理由









 それから10分程が経過した。未だ、二人は戻らない。
(命に代えても…!)
 イオの言葉を思い出して、一瞬心臓の辺りを冷たい手で撫でられたみたいにヒヤリとする。
(まさかな…たかが外に出たくらいでそんな事になる訳…)
 ふるふる、と嫌な予感を振り切るようにかぶりを振った時だった。
「ガイズ?何そんなトコでぼーっとしてんだ?」
 声と共に、髪をくしゃりと暖かい手に無遠慮に掻き混ぜられたのは。

「――エバ?」
「そーそー、アナタのエバ兄さんですよー…って、ホントどうしたんだ?幽霊みたいにぼーっとして」

 くす、とからかうように笑って、エバは俺の頭をぽすぽすと叩いた。

「イオとジョゼ…待ってんだ」
「あ?イオとジョゼか。そう言えばアイツら、なーにしたんだ?」
「え…?何って…」
 チョコレート奪還のための、決死の出征を…とか?
(言えない…)
 それとなーく目を泳がせつつ、俺はエバに先をねだった。
「『何したんだ』って…どういうこと?」
「ん?いや、さっきあの二人が仲良く看守室の罰掃除命令されてるトコに行き当たっちまったんだよ。で、ジョゼとイオだろ?二人一緒に居る事は多いけど、組んで悪さすることなんて滅多に無いし…珍しいなぁ、何したんだろうなぁ、と思って…」
 まあ罰掃除程度だから、大した悪さでもなかったんだろうな、とエバは結論付る。
(良かった、二人とも無事だったんだ…)
 俺はほっとして溜息をついた。
(…でも、やっぱ止めときゃよかったかも…)
 『アイツらが悪いんだから』と思いつつも、止めなかった自分に責任を感じて俺はちょっと俯く。

「…ガーイズv」
「いひぇっ!!」
 悪戯な声が頭上から聞こえた――と思った矢先、むにーっ、と両頬をエバの指に摘まれて俺は悲鳴を上げていた。
「おお。伸びる伸びる」
「え〜ば〜っ!なにひゅんだよ〜」
 もう!と両手を振りほどくと、悪い悪い、とエバは笑う。
「わっけ分かんねぇ…なにすんだよ、いきなり!」
 ひりひり痛む頬を抑えて文句を言うと、エバは顎に手を当ててとぼけたように首を傾げた。
「…いや?お前の顔をいつものに修正しようと思って」
「はぁ!?」
 俺に睨まれて、エバは降参、というように両手を掲げる。
「ホント、悪かった…お詫びと言っちゃなんだが、どうよ、おひとつ」
 酒を勧めるような口調と共に差し出されたものに思わず俺は目を輝かせた。
「あ。チョコ!」
 手の中に落とされた小さな箱の重みに、ぱっと笑みが漏れる。
「…良かった。やっといつものガイズに戻ったな」
「何だよ、それ」
「さっきまで幽霊みたいにぼーっとしてるし。そうかと思えば、いきなり塞ぎ込んだりして、らしくない顔ばっかしてたからさ。…やっぱりお前は、そんな風に笑ってんのがお前らしいよ」
「…馬鹿にしてんのか!?」
「まさか。…そーゆー天真爛漫な子供の笑顔は、疲れたおにーさんのココロをふかーく癒してくれるのですよ…ってな」
「それを言ったら、エバこそ…」
「?何だって?」
 心の中で思っていたことだったのに、つい口に出してしまったらしい。
 やっぱ今のナシ!と言いたかったけれど、チェシャ猫みたいにニヤニヤ笑ってるエバの顔を見ていたらとても無理だって分かった。
「だから…エバこそ、こんなトコに居るのにいっつも笑顔で居て…見てると、何かすっげぇ辛い事あってもいつの間にか何とかなりそうな気になってるって言うか…。そう言う風にいつでも笑ってられるのって凄いと思っ…」
 ああ、もうヤだ。顔だって絶対に赤くなっているだろう。
 ちら、とエバを伺うと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたのが…次第にじわじわと笑み崩れてきた。
「そういう風に思っててくれたのか…いやあ、嬉しいけどおにーさん照れちゃうなぁv」
 言いながらエバは、ぎゅむーっと俺を抱き締めてくる。
 苦しい、と暴れてほんの少し離れると、エバの首筋がほんのり赤くなっている気がしたから…もしかしたら、言葉以上に本気で照れてるのかも知れない。

「…でもさ、俺だっていっつもいっつも笑ってられるわけじゃないんだな、コレが」
「そう…なのか?そうは見えないけど…な、エバ、そろそろ離し…」
 さっきから密着しすぎて落ちつかない。胸板に手をついて押し退けようとするが、『ダーメ』、という言葉と共に強く引き寄せられてしまった。
「…時々、ふっと足元を見たときに底も見えない深い穴の直ぐ淵まで来ているのを感じて、叫び出したくなることがある」
 何だろう?声音がいつもと違う気がする。いつものエバじゃないみたいだ。
「でも、いざ叫ぼうと口を開いたとき、ソイツの笑顔を見ると『怖がっちゃ居られねぇな』って思うんだよ。『笑ってねぇと』ってさ。…きっとそいつの前じゃ何時だって格好つけて居たいんだな、俺」
 低く呟かれる言葉の内容は、まるで意味が分からない。

「――瞬きした次の瞬間に闇の中に転がり落ちてしまうとしても、大丈夫、そいつが居る限り俺は最後まで笑っていられる」
「…エバ!?」

 たまらず名前を呼ぶと、不意にエバは顔を上げて口調をいつものそれに戻した。
「…なーんてな。ま、オコサマにも分かり易く言うなら、子供は難しい事考えないで笑ってなさいってこった」
 またふに、と頬を摘まれて、俺は慌てて抗議する。
「だーれーがー子供だよ!」
「チョコレート貰ってごきげんだったくせにー」
「う…」
 全くもってその通りだから、言い返すことも出来ない。そんな俺を見てエバが吹き出した。
「もー!そんな事言うなら、コレ返すからな!」
 そう言ってエバに手の中のチョコをつき返そうとして、気付いた。
「…………?」
 何か。
 何かが。
 …手元に、カサカサと触れている
 カサカサ。
 ぱりぱり。
 もぐもぐ。

「…『もぐもぐ』?」
 嫌な予感がして、エバと二人、恐る恐る自分の左手を見てみると、そこには――

「「…ベルベットぉ!?」」

 俺の手の中から勝手にチョコレートの箱を引っ張り出して、包み紙を剥くのももどかしくもぐもぐとチョコを口に運んでいる男が一人。
「…ベ、ベルベット〜、それは俺がガイズにやった…」
 情けない声でエバがその腕を抑えようとするのをかわし、まさに最後の一個を口の中にぽい、と放り込んで――

「うむ。中々美味な菓子であったv」

 口元のチョコを舐め、にんまりとベルベットは笑った。




「ベルベット…お前、ワザとか?それとも天然か…?」
「はて?何のことかさっぱり分からぬのう…」
 エバの問いかけに、にぱーっと笑うベルベットは口の端についたチョコを犬のようにペロペロと舐めとってご満悦だ。
 対照的に、俺はやっと食べられると思ったチョコレートを再び目の前で掻っ攫われて、しゅーんと肩を落とした。
「俺のチョコ〜」
 つい恨みがましげにベルベットを睨んでしまう。…と、ベルベットが漸く此方を振り返った。
「『俺の』…?そうか。コレはガイズのチョコであったのか」
「…そーだよ。…もー、寄りによってぜーんぶ食べる事ないだろー!折角エバがくれたのにさぁ…」
「ほー…エバが…」
 そこで言葉を切ったベルベットは、何故か意味深にエバにちら…と視線を向ける。
「…何が言いたいんでしょうかねぇ、ベルベット王様」
 相変わらずエバはベルベットの王様ごっこに付き合ってやっているようだけど…でも、何だかちょっぴり言葉の端に棘を感じたのは、俺の気のせいだろうか?
 何時に無く不機嫌そうなエバに構わず、ベルベットはぽん、と手を叩いた。
「そうかそうか!それは悪い事をしたのう!しかし…偉大なる王としては、臣下の財物を不当に搾取して知らん顔、という訳にもいくまい」
 言いながらベルベットは俺に近づくと――俺の身体を、ひょい、と抱え上げた。それこそ、荷物みたいに!
「ぎゃっ!」
 見た目はそんなに体格良くないくせに…!意外な力にびっくりする。って言うか、そもそも王様はそんな事しないだろ!?
「ベルベット!降ろし…」
「おい、待てベルベット!ガイズをどこに持ってく気だ!?」
 ビックリしたのは俺だけじゃなかった。ベルベットの意外な腕力に呆気にとられていたエバも、我に返ったのか慌てて抗議する。
 …余程焦っているのか、最早ベルベット相手でも呼び捨てだ。しかも『持ってく』って…俺はモノじゃないっての!
「何処に…?王からの賜り物じゃ。相応しい場での受け渡しが当然であろ?」
「だったら、其処に俺も…」
「無粋であるぞ、エバ!」
「『無粋』って……あ!ちょっと待…!」
 引きとめようとするエバをするりとかわし、軽快な足取りでベルベットは走り出す。…相変わらず俺を荷物のように持ったままで。
 ゆさゆさと揺さぶられながら、俺は焦って遠ざかるエバに手を伸ばした。
「エ…エバぁ!」
「ガイズーっ!」
 珍しくも切羽詰った顔でエバが追いかけてくる。それをちらりと振り返ったベルベットは、徐にぐん、とスピードを上げた。
「うわ…!ベルベット…!速…!」
 よく獣みたいにがむしゃらに走っているのは見るけれど、俺を抱えてこのスピードを出せるなんて…!
 振り落とされないように、俺は必死にベルベットの肩にしがみつく。
 気付けば、あっという間に背後のエバの姿は豆粒ほどになり――そして幾つかの曲がり角を曲がった時には、もうすっかり見えなくなってしまっていた。




*******


 『王様』に完全に撒かれてしまったエバは、ゼイゼイと息をつきながら廊下に膝をつく。

「…ベルベットかぁ…ジョゼは足止めされてるし、これはイケるかと思ったんだが…思わぬ伏兵だったよなぁ…」
 喰い散らかされたチョコレートの残骸を前に、一人残されたエバはがっくりと肩を落とした。


*******























SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送