6.幕間劇・鞄の中の小さな秘密







 疲れた足を引き摺って、ジャーヴィーは看守棟へと歩き出す。
 波乱と混乱と緊張と苦痛とに満ちた――ありていに言えば、『すっげぇ面倒くせぇ一日』もそろそろ終わりを告げようとしていた。

「来年の2月14日は俺、休み取ろ…絶対、取ろ…」
 ぼやきながら休憩室のドアを開けると――目の前に広がっていた予想外の光景に、思わず目を瞬かせてしまう。
「…シル…ヴェス…?」
 机に突っ伏して惰眠を貪っている看守が一人。うつ伏せているので顔までは分からないが、帽子の隙間から垣間見える灰色の髪は、間違いなく自分の相棒のものだった。
「うわ、めっずらしいなー…」
 真面目一本で隙の無い相棒が、ここまで前後不覚に熟睡しているのはとても珍しい。
 足音を忍ばせて至近距離まで近づいても、その規則正しい寝息が乱れる事は無かった。
「そう言えばコイツも『14日の特別警戒』に当たってたんだっけか…そりゃあ、疲れるよなぁ…」
 緩やかに上下する背中はいつになく小さく丸まっていて、顔は見えねどその疲労の濃さは一目瞭然だった。

「…そうだ。たまには、俺が茶でも淹れてやるか」
 肩を回しつつ戸棚に足を向ける。いつもシルヴェスに淹れてもらっているコーヒーだが、こんな日くらいは自分が淹れてやってもいいだろう。
 …そう思って意気揚揚とカップを取り出したジャーヴィーだったが――不意に眉を顰め、ぴたりと動きを止めた。
(…あれ…?コーヒーって…どうやって淹れるんだっけか…)
 慌てて頭の中の記憶を全検索するが、そもそも自分の家ではコーヒーなんて殆ど飲まなかったし、飲むようになったのは此処に来てからだし、しかもいっつもシルヴェスに淹れてもらっていて…自分はそれを子供のように待っているばかりで…
 つまり、全く、全然、一向に、さっぱり――見当が、つかない。
「茶の派生みたいなもんだから…ポットに入れて、湯をブチ込めばいいのか…?」
 しかし、コーヒーは『豆』だ。豆を湯に入れたら…
「…『ゆで豆』になっちまうよなぁ…」
 ジャーヴィーの頭の中で、ほこほこの『ゆで豆』がカップに山盛りになっている。
「…何か…そもそも紅茶とは淹れ方が違ってた気がする…」
 …そしてジャーヴィーの思考は、振り出しに戻る。
「ま、いっか。取りあえずやってみれば」
 ガチャガチャと瓶を幾つか取り出し、この瓶『コーヒー』って書いてあるけどホントにそうなのかよ。だって中身が豆じゃねぇし。…もしかしてこっちの粒々か?などと言いつつポットの中に中身をブチ撒けようとしたジャーヴィーの腕を、背後からやんわりと止める者があった。

「ジャーヴィー…その中身、コーヒーじゃないぞ」
「あ、シルヴェス。…起きたのか」
 まだ寝てて良かったんだぞ?と首を傾げるジャーヴィーに、シルヴェスは曖昧に笑ってみせる。
「いや…あれだけ不穏な独り言吐かれて、眠っていられる度胸は流石に…」
「…?何か言ったか?」
「いや、別に」
 短く答えてシルヴェスはジャーヴィーの背を押し、席に着くよう促した。唇を尖らせつつも、ジャーヴィーは少しほっとしたような顔で大人しく従う。
 そしてシルヴェスもまた、ほっと溜息をつきながらジャーヴィーから取り上げた『黒胡椒』の瓶を、戸棚の中に捻じ込んだ。








「疲れてるみたいだな、ジャーヴィー」
 コーヒーを待ちきれずに、机に突っ伏してしまった相棒をシルヴェスがからかう。
「…それを言うなら、お前だろう…ちっとも起きなかったくせに…」
 指摘されて苦笑いしつつ、シルヴェスは肩を竦める。
「流石に今日は…緊張状態を維持するのに疲れた。午前中はずっと、139番の見張りだったからな…」
 そうそう、とジャーヴィーも頷く。
「一回139番を見失った時は、本気で俺も血の気が引いたからなぁ…」
 でも、勤務時間は終わったし、もうこの『特別任務』もめでたく終了だからな!と晴れやかな表情でジャーヴィーはぐっと背筋を伸ばした。
「本当に、お疲れ。…甘い物でも、食べるか?疲れた時には、甘い物がいいから」
「あ。貰う、貰う!」
 シルヴェスの言葉に、ジャーヴィーは目を輝かせる。頭の上に三角耳が、お尻のあたりにパタパタ揺れる尻尾が見えそうな、全力での喜びっぷりに頬が緩む。
「じゃあ…これを」
 差し出された妙に豪華な箱を、何の遠慮も躊躇いもなくジャーヴィーはばりばり開封していった。
「あ、チョコレートじゃねぇか!」
 うーわーvと一層嬉しそうに相好を崩したジャーヴィーは、それでも『いただきます』と律儀に断ってからひょい、とチョコを摘み上げる。
「うん。美味い」
 言いながらシルヴェスを見上げると、本来のチョコレートの持ち主であるシルヴェスは、手を伸ばしもせずただチョコを貪るジャーヴィーを妙に真剣な眼差しで眺めて――ふう、と溜息をついた。
 こちらに向けられる、諦めきったような――それでいて、微妙に恨みがましげな眼差し。
(え…?コレ、食っちゃダメ…だったの…か…?)
 何で何で、そんな眼でこっち見てるんだよ、シルヴェス!
 問い詰めたいが、何だか追求できない雰囲気に、ぎくしゃくとジャーヴィーは話題を逸らす。
「う…美味いチョコだよなー。コレ、どうしたんだ?」
「…ああ。139番の戦利品だよ。今日、没収した分で…」
「あーそっかー…そりゃまた、ご愁傷さまな…」
 言いながらも気まずい雰囲気に耐え切れず、一心不乱に箱を空けていたジャーヴィーだったが、ふと何かを思い出したように手を止めた。
「ああ、そうだシルヴェス。これ」
「え」
 ジャーヴィーの手から差し出された小さな包みに、シルヴェスが動きを止める。
「ジャー…ヴィー…?」
「やるよ。『疲れた時には甘い物がいい』んだろ?」
「私…に…?」
「…って…他に、誰かいるか?」
 反応の鈍いシルヴェスに、ジャ−ヴィーは困ったようにきょと、と首を傾げる。
「あ、嫌いだったら誰か他の奴に…」
「い、いや。貰う!」
 何故か慌ててシルヴェスは包みを手元に確保する。そしてそれを開けた途端、目を見張った。
「チョコチップのケーキか…もしかして、手作りか?」
「ああ」
「じゃあ、もしかして…お前が…作っ…」
「いや?139番への貢物の一つ。…の、没収品」
 あっけらかんと言ってシルヴェスを振り返った瞬間、ジャーヴィーが怯えたように後ずさった。
「シ…シルヴェス?俺何か今、お前の気に触る事言ったか…?」
「いーや…?どーしてそう思うんだ?ジャーヴィー」
「怖い怖い怖い!何かいきなり顔怖くなってるって、シルヴェス!」
「いや…分かっていたんだけど…な。『期待するな』って事くらいは…」
 ふ…ふふ…と一人肩を震わせるシルヴェスを、壁にへばりつきながらジャーヴィーは見詰める。
(俺…何か悪い事したんだろうか…分かんねぇよ…教えて、母ちゃん!)
 ジャーヴィーの悲痛な祈りは、田舎の母ちゃんに届いたのか否か…





 一方普段は温和な灰髪看守も、このままならない状況には頭を抱えていた。

 鈍い相棒。
 14日にチョコレートを渡されても、なーんの疑問もなくパクパクと食べてしまった相棒。

(この分だと改めて『本物』を渡しても…きっと気付かないんだろうなぁ…こいつは…)

 シルヴェスは重苦しい溜息をつきながら、部屋の隅に置かれた自分の鞄に目をやった。


 どうやら今年もあの鞄の中身は――自分で食べる羽目になりそうだ。

 …渡せる日は、一体いつになることやら。
























幕間。しぶとくシル×ジャーを主張。






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