7.14日の真相






「なんっか…今日はチョコレートづいてるんだか、づいてないんだか…」
 ぶつぶつとぼやきながら、俺は廊下を歩く。

 結局、没収された『ルスカのチョコ』は、紛失してしまったらしい。灰髪の看守が恐縮しながら、俺に言った。
(すまない。今度同じようなものを返すから、それで…)
(いや、いいですよ…!いいですから…!)
 その余りの恐縮振りに、却って悪い事をしたような気になって俺は手を振ってしまった。
 兎も角、ルスカのチョコレートは紛失、イオとジョゼのチョコは、結局行方不明のまま、エバのチョコは…ベルベットの腹の中、だし、ベルベットのチョコは…『アレ』だし、シオンのチョコチップケーキも没収されて。
「なーんかついてない一日だったなぁ…」
 がく、と俺は肩を落とした。
 物凄く甘い物が好き、ってわけじゃないけれど、ここまで食べられそうで食べられない…という状況が続くのは流石に辛い。
「もうさっさとシャワー浴びて、寝るか…」
 のろのろと独房に足を向けると、俺の独房の前に人影があった。

「…あれ?ヴァルイーダ?」
「ガイズ。…お帰りなさい」
 ニコ、とヴァルイーダは俺に微笑みかける。
「どうしました…?何だか、元気がないですよ?」
「聞いてくれよ、ヴァルイーダ〜。チョコレートがさぁ…」
「『チョコレート』…」
 ふっとヴァルイーダの顔色が変った気がしたけれど、話を聞いてくれる相手を探していた俺はそんなこと構わず、今日起きた全部のことをぶち撒けた。

「それで、結局ひとっつも食べられなかったんだぜ!?偶然とは言え…酷く無いか?」
 それにしても、どうして今日に限ってこんなにチョコレートづいてたんだろうな?
 そう言うと穏やかに話に相槌を打っていたヴァルイーダが、ふと笑う。
「あれ…?もしかして、気付いてなかったんですか?」
「『気付いて』…?何に?」
「今日の日付ですよ」
「『日付』…?」
 まるで心当たりがない。いつまでも首を捻る俺に、ヴァルイーダは苦笑した。
「でも、無理もないかもしれませんね…こんな所に居ては」
「なあ、何だよ!教えてくれよ!」
 腕を揺さぶってせっつくと、ヴァルイーダは『2月14日』ですよ、と言った。
「2月…14日…?…あ!」
 漸く思い至った内容に、パン、と俺は手を叩く。
「バレンタインデー!…って、え…っ?」

 多分、『バレンタイン』で間違いないと思う。
 だけど…何で、俺に?

 まだ首を傾げる俺にヴァルイーダは子供にするように解説する。
「そうですよ。だってバレンタインは…『大切な人に感謝と愛情を込めて、贈り物をする日』、でしょう?」
「知ってるよ!…だから、余計に分かんねぇんだろ!」

 『大切な人』なんて。『感謝と愛情』なんて。

「ああ…意外に自分では…気付かないものなのかも知れませんね」
 その言葉は、ベルベットに言われたものと全く同じだった。
「そう言えば『俺に貰ったものが沢山ある』…って、ベルベットが言ってた。…そういう事なのか?」
 コク、とヴァルイーダは頷く。
「でも俺がやったものって、何だよ。あの時も、俺、全然分からなかったんだ」
「『もの』とは限らないでしょう。…例えば…そう、」
 ヴァルイーダの両手が、俺の頬を包み込む。
「ガイズが、笑ってくれる事や」
「…へ?」
「どれだけ打ちのめされても、無罪の証明を諦めないで居てくれる事」
「ちょ、待てよ!だってそれは…!」
 自分の為だ。笑うのだって、無罪の追求だって全部全部。…他人の事を考えて、他人の為にしたことでは無いのに。
「おかしいって、ヴァルイーダ!俺、別にあいつらの為にしたわけじゃ…!」
 いっつも俺は自分のことだけで精一杯なのに。人を支えようと思って行動できたことなんか、無かったのに。

 …なのに、どうしてこんな俺に『感謝』なんてするんだ。


「『誰かの為に』…そう思って成すことだけが、人に何かを与えるんでしょうか?…そうじゃないと、私は思うんです、ガイズ」
「どういう…事?」
「例えば…ねぇ、ガイズ。シオン達の笑顔を見ると、楽しくなりませんか?
 うん、と頷く。
「じゃあジョゼとケンカした後、何だか元気が出てる事はありませんか?」
 ちょっとだけ迷って…俺は、また頷いた。
「でも彼等のそれは、いつも『ガイズを楽しませよう』、『ガイズを元気付けよう』と思ってやっていることでしょうか?」
「違う…。違うと…思う」
 確かに、時折『元気付けられてる』と自覚する事はある。
 でもそれを抜きにしたって、シオン達の笑顔はどんな種類の物でも俺を幸せにするし、認めたくはないけど…ジョゼとケンカしているといつだって、モヤモヤしていたものがいつの間にか吹き飛ばされていた。
「それと同じですよ。貴方が彼らに――いえ、私たちに、あげたものというのは」
「何となく分かったけど…でも、本当に?」
「ええ。ガイズは気付いて無いかもしれませんが――」
 そっとヴァルイーダの手が、俺の髪を撫でる。

「ジョゼもイオも、エバもベルベットもシオンも、それにガイズの弁護士さんも、みんなみんな――ガイズの事が大好きなんですよ」

 言われて、俺は少し頬を赤くした。
「何だよ…だったら、俺の方こそあいつらに『感謝』…しなきゃなんねぇのに…」
「…その気持ちで、十分でしょう。明日にも伝えてあげれば、皆きっと喜びますよ」
 優しい言葉に、俺はヴァルイーダの手を思わず握り締める。
「ありがと…な!勿論俺、ヴァルイーダにも感謝してるから!」
 途端、ヴァルイーダの切れ長の目が、ビックリしたように見開かれた。
「全く…本当に貴方には色んな物を貰いっぱなしですよ、ガイズ」
「ヴァルイーダ…!」
 腕を引かれ、抱き締められて俺は思わず声を上げた。
「…こうやって話していると、『明日もまた話したい』…と思う。そうしたら、こんな所に居ても、『明日』が楽しみに思えてくるんです」
(明日が…楽しみに?)
 ぴんと来なくて首を傾げる俺に、ヴァルイーダは笑う。
「些細な事と思いますか?…でもね、ガイズ。貴方が来るまで、私はいつも就寝前、『このまま朝が来なくてもいいかも知れない』なんて思ってたんですよ。――でも貴方が来てから、初めて『明日と言うものを待つのも、悪くは無いのかもしれない』…なんて、思えるようになったんです」
「ヴァルイーダ…」 
 出会ったばかりの頃の彼の、今にも消えてしまいそうな風情を醸し出していた姿を思い出す。
 胸の辺りがジン、と痺れたように痛くなって、俺はヴァルイーダの身体を抱き返した。

「だからね…ガイズ」
 少しだけ悪戯っぽい口調で、ヴァルイーダが俺の耳元に囁く。

「内緒にしていたけれど、私も貴方のことが――大好きなんです」


 …この体制のままで良かった、とヴァルイーダの胸に顔を埋めたままで、俺は場違いなことを考えた。
 真っ赤になった顔を、見られるところだったから。








 廊下で抱き合っている事に居心地悪くなった俺が身じろぐと、漸くヴァルイーダは俺を解放した。
「…そうだ。ガイズは結局今日、チョコレートを一個も口に入れてないんですよね?」
「ん?うん」
 頷いた途端、ヴァルイーダの眼がキラ、と光った気がしたのは…気のせいだろうか。
「そうですか。…それじゃあ、私がガイズに差し上げましょう」
「何を?」
「チョコレート♪」
「ホントに!…あ、でも俺、あげられるものが…」
 ぱっと反応した後、自分の方があげるものを持ってないことにしり込みしてしまう。
「いいんですよ、ガイズは」
「でも…!」
「それじゃあ…『お返し』はいずれってことで」
「うん…!分かった!じゃあ、何が欲しいか考えててくれよ!この刑務所の中で手に入るものしか返せねぇけど…俺、頑張るから!」
「…楽しみにしていますよ」
 ふふ、とヴァルイーダは笑う。
 …何だかその笑顔にちょっと不穏なものを感じたが…それも気のせいだと思うことにした。
「じゃあ、ガイズ。今日はシャワーの日でしょう?先に行って来てください。私もこれから洗濯なので…チョコレートの受け渡しは、その後に」
「うん!」
 頷くと俺は身を翻す。
 角を曲がる直前手を振ると何人かの別の囚人達に囲まれたヴァルイーダが、ニコリと笑ってこちらに手を振っていた。




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「…さて」
 ガイズが完全に見えなくなったところでヴァルイーダは笑みを消すと、不穏な雰囲気を漂わせて自分を包囲している囚人達に向き直る。
「そういう事ですので…手出しは無用に願いましょうか」
「…そんな事、聞けると思ってるのか…!」
 一人が、壁を殴りつけた。風圧でゆらりと髪が揺れるが、銀髪の男にはまるで怯えた気配が無い。どころか、クク、と低く笑ってみせる。
「何がおかしい!」
「いえ…?貴方達は本当に分かっていないんだなぁ…と思いましてね」
 ゆら…と身を持たせかけていた壁から、ヴァルイーダは身を起こした。
「どうして私が、ガイズをさっさとシャワーに行かせたと思います?」
 鋭く光る白銀の瞳。気おされたように全員が一歩後ずさった。
「どういう…!」
「こんな残酷な光景…ガイズには見せたくないからに決まっているでしょう?」


 間髪入れず、廊下に響き渡る鈍い炸裂音。


 赤く染まった廊下で、赤く染まった男は、ゆるゆると両手を目の前に掲げて苦笑する。
「ああ…今日シャワーの日じゃないんでしたっけね、私…」
 しまったな…失敗、失敗、と言いながら、男は累々と積み重なる屍を残して歩き出す。

「あ…悪魔憑き…ってか、悪魔そのもの…!」
「…だ、だーれーがー『このまま朝が来なくてもいい』と思ってたって…!?」
 痛みを堪えながら男たちは呻いた。
 
 『GFC』――ガイズ(非公認)ファン倶楽部。
 銀髪の守護者の前に、あえなく、撃沈。


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