2.


 大きな手のひらの上に、どう考えても似合わない可愛らしいキャンディーを乗せられて困った顔のジャーヴィー。その様を見て、またシルヴェスが笑う。
 気付けば、つられたようにガイズもまた声をあげて笑っていた。

 看守だって一人の人間で。いつも厳しい顔で囚人を監視して回っているわけじゃない。
 こういう風に照れたり笑ったりすることもあるのだということに、そして出所後の今それを知る事が出来たという偶然に、ガイズは一種の感動さえ覚えた。

(此処の中に居た頃は、想像もしなかったのにな…この二人とこんな風に笑って話すなんて)

 こうして見れば二人とも普通の、何処にでも居る20代の青年だ。


(じゃあ)

(アイツは)



 その時不意に脳裏を掠めた姿に、ガイズの頭が急速に冷えた。
 笑みを浮かべていた頬が強張り、背筋がスウっと粟立つ。
 暖かな雰囲気に忘れかけていた。此処は、刑務所で。――『あの男』の、テリトリーで。
 何時またあの男が現れるか分からない。『お前、ヒマそうだな』といういつもの台詞と共に。薄い唇を残酷な微笑に歪めて。

 ガイズの足元から、知らず震えが立ち上った。目の前で会話を交わす二人の声が遠い。代わりに脳を支配するのは、決して消えないあの陵辱の記憶。


 忘れない。忘れられるわけが無い。


 殴られ、押さえ込まれ、何も知らない場所を傍若無人に引き裂かれた。死に物狂いの抵抗ですら功を成さなかった。
 拳を振り回して圧し掛かる身体を殴れば、その何倍も殴り返された。意識を失いかければ首筋を血が出るほどキツく噛み付かれ、新たな苦痛でもってまた引き戻される。

 絶え間ない苦痛から逃れようと、貫かれる中で覚えた僅かな快楽に縋った。だがその逃避こそが、またガイズを苛む新たな責め具となった。
 苦痛と快楽。その二つを巧みに操って、男はガイズを思うままに翻弄する。
 苦痛から逃れる為に快楽に縋っていた筈なのに、何時しか麻薬のようなその快楽に溺れて身体が苦痛さえ甘受するようになった。
 
 記憶に残っている男は――デューラは行為の時、何時だって笑っていた。
 ガイズの肢体を自分好みの玩具に造り替えて、思い通りになるその様を嘲笑っていた。


 今でも、夜中に夢を見ては飛び起きる。背筋を寝汗が伝い落ちる感触が、まるで背中に舌を這わされているように思えて嘔吐した事もあった。
 そういう時はシーツの中で震える身体を抱き締めて、眠れないままに朝を迎える。
(此処は外だ)
(俺は自由になったんだ)
(…もうアイツが、来る事は無いんだ)
 何度も何度も言い聞かせて。それでも身体につけられたものと別の傷が、未だガイズを苦しめる。


 ――心的外傷。







「――君?ガイズ?」
「おい、どうした?」

 僅かに蒼褪め、ぼんやりと視線を彷徨わせていたガイズに気付いたのだろう。二人の看守が困惑したように声を掛けてくる。
「あ…俺…」
 さっきまでは『もっとこの二人と話してみたい』とすら思っていた。だが今は――ただこの場に留まるのが、怖い。

「すいません…俺、もう帰ります。洗濯物はコレで全部ですから…」
 うめくように言うとガイズはシルヴェスの胸元にシャツの束を押し付けた。そしてジャーヴィーに『すみませんが、控えを渡して下さい』と頼む。
 唐突に態度を変えたガイズを訝しみつつも控えを手に取ったジャーヴィーは、その時不意に強い視線を感じ、背後のシルヴェスを振り返った。
 先程までの笑みを消したシルヴェスは、唇をきゅっと噛み締め、ジャーヴィーに向かって一度頷く。
 それに応えるように頷いて、ジャーヴィーも控えから手を離した。
 その二人の一瞬のやり取りに、俯いたままでいたガイズは気付かない。


「…悪いけれど、その前に君に頼みたいことがあるんだ」
 ガイズのほうに向き直ったシルヴェスは、再び笑みを浮かべていた。
 ――だがそれは、どこか完璧すぎて却って違和感を覚える微笑だ。

「頼みたいこと…ですか…?」
 知らずガイズは小さく身体を引いた。それを逃がすまいとするかのようにシルヴェスは畳み掛ける。

「悪いが、この後二人とも巡回に出なくちゃいけなくてな。しかも連絡役の囚人が今日に限って動けないんだ…だから、もし良ければそのシャツを、各看守の部屋まで運んで欲しいんだが…」
「え……」
 ガイズの視線が彷徨う。その理由がよく分かっていながら、シルヴェスは敢えて罠を仕掛けた。

「あ…イヤならいいんだ。…済まないね。君の気も知らず、無神経なことを頼んで」
 そう言って自嘲気味に笑う。その淋しげな横顔にガイズが慌てたように言い募った。
「だ、大丈夫です!イヤだなんて、そんな事…!仕事ですから!」
 そしてつい吐いてしまった言葉に、しまった、というようにガイズが口を抑える。
 哀しいくらい、その台詞はシルヴェスの予想通りのものだった。


 優しいガイズ。きっと看守の自分を気遣ったのだろう。
 それが罠だということに、気付きもせず。


「じゃ、言ってきますから…」
 そう言うと、ガイズは誘われるままに刑務所の中へ入り――二人に一度一礼すると、シャツを抱えて看守棟の廊下を歩いて行った。

















「ジャーヴィー、私は、間違ったことをしたんだろうか」



「私はさっき、あの子が笑ったのを見て心から『良かった』と思ったんだ。――その気持ちに、ウソは無い筈だったんだ」



「なあジャーヴィー。私はどちらも幸せにしたいんだよ。そう思うことは、間違っているか?」



「『二人とも幸せになって欲しい』。だけどそれは絶対に出来ない。一人が幸せになれば、もう一人が必ず不幸になる」








「それが分かっていながら、あの子を行かせた。――私は、許されない罪を犯したんだろうか」
















     



















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